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混沌のキャリア、就職氷河期の逆境から始まったクリエイティブへの道
本日はよろしくお願いします。フランクに、色々とお話しさせていただければと思います。
西田享将(以下、西田): よろしくお願いします。そうですね、ざっくばらんに何でも聞いていただければと思います。
事前の資料を拝見し、西田さんのこれまでのキャリアの足跡は非常にドラマチックですが、そもそもクリエイティブ業界への第一歩はどのようなものだったのでしょうか。
西田: 大学卒業時の2003〜2004年頃は「就職氷河期」の真っただ中でした。大学時代からカルチャー雑誌が好きで、『STUDIO VOICE』や『relax』のような雑誌の編集の仕事に憧れていました。しかし不況で出版業界は新卒採用すらほとんど行っていない状況でした。それでも諦めきれず悶々としていたところ、映像制作の仕事の募集を見つけたんです。村上春樹さんへの憧れから早稲田大学の映像演劇科で学び、そこで培った知識で面接をクリアできました。この映像制作会社への入社が、僕のキャリアの原点です。
映像制作の現場から、どのようにして海外への留学を決めたのでしょうか?
西田: 毎日が本当に激務でした。当時は月に500時間くらい働いていて、そういう時代が確かにあったんです。在籍した2年間でプロダクション・マネージャーとして必要な「マネジメントの基礎」や「効率的な時間配分」を徹底的に叩き込まれ、自分の能力と限界値も正確に把握できるようになりました。厳しくも手厚く教えていただいた上司の方々には今でも深く感謝しています。
ただ、現場で揉まれるうちに「クリエイティブな表現そのものを手がけたい」という欲求が湧いてきたんです。周囲には心配されましたが、直感を信じて退職という選択をしました。せめて英語くらいはという軽い気持ちもあり、あえて英語圏に環境を求めてカナダ行きを決意し、フランス語と英語が飛び交うモントリオールに渡って現地の大学に通い始めました。

カナダへの留学とタンジブル・デザインとの出会い
そして辿り着いたカナダでデザインの世界に足を踏み込んでいくことになるのですね。
西田: ちょうどモントリオールに滞在していた時期、デザイン業界ではニューヨークの著名なデザイナー、ステファン・サグマイスター氏が提唱した「Tangible Design(タンジブル・デザイン=実体のある、手で触れるようなデザイン)」が一大トレンドになっていました。サグマイスター氏が休暇を取ってケベック州のラヴァル大学で教鞭を執り、二人のタレントある学生を見出したんです。一人は今も世界的に活躍するジュリアン・バレ、もう一人はカリム・(シャレボワ)・ザリファです。彼らがモントリオールに戻って有名になっていくプロセスを間近で目にした後に、僕は幸運にも彼らのスタジオにインターンとして入ることができました。これが僕のデザインキャリアの本格的な始まりです。
その後、日本でも知名度の高いインタラクティブな空間演出を手がける会社「Moment Factory(モメント・ファクトリー)」がまだ社員60人くらいほどで、世界に認知され始めた頃にお仕事をさせていただきました。そこでデジタルや映像の可能性を模索していたのですが、どこか腑に落ちる感覚が得られず、もう一度デザインの根源であるグラフィックにチャレンジしたいという思いが強くなり、トロントの「Bruce Mau Design(ブルース・マウ・デザイン)」に応募して入社することになったんです。

Bruce Mau Designで学んだブランディングという概念
「Bruce Mau Design」は名門のデザインスタジオですよね。当時はどのような会社だったのでしょうか?
西田:入社して、僕は生まれて初めて本格的な「ブランディング」という概念に触れました。当時はまだブランディング自体がメジャーな手法として確立されていなかったので、彼らの哲学的なアプローチの本質を理解するまでにかなりの時間を要しましたね。毎日が脳を引き裂かれるような思考の連続でした。
ブルース・マウさんは非常に聡明で、デザインを装飾ではなく哲学的なシステムとしてアプローチする方でした。声が小さくて、スタッフ全員が耳を澄まして話を聞く独特の張り詰めた空気感を持つスタジオでした(笑)。僕が入社した時期は、マウさんが第一線から退かれた直後で、「巨匠が去ってしまった」というどこか寂しげなムードが漂っていました。しかし同時に「自分たちの手で生まれ変わらせよう」というものすごい熱量があり、僕はその過渡期の渦中に身を置くことになったんです。

ブルース・マウ氏によって創設されたスタジオ「Bruce Mau Design」
そこからは環境に恵まれ、多くのグローバルプロジェクトに関わることができました。気がつけば在籍は10年ほど、最終的にはディレクターにまで昇進したのですが、当時一緒に働いていた上司が独立してビジネスを立ち上げることになり、「一緒に来ないか」と声をかけてもらったんです。その立ち上げに参加したのが、いま所属している「Public Address(パブリック・アドレス)」です。カナダには結局19年ほど滞在し、最初の5年がモントリオール、その後の14年がトロントでした。ニューヨークの著名なスタジオからも声をかけていただいたのですが、家族のこと、ビザの複雑さ、当時北米で深刻化していたアジア人ヘイトの問題、不安定な社会情勢といった背景もあり、次の拠点として日本を選び、帰国を決意したんです。

北米の実力主義と社内サバイバル
日本と北米の働き方の違いについて、現地でどのように感じていましたか。
西田:日本で働いた2年間と北米での19年間を比較すると、時代背景の違いはありますが、ものすごいコントラストがありました。日本では月に500時間労働が当たり前という世界でしたが、その状態で培われた「努力の総量」は、北米のクリエイティブ業界に飛び込んだ時、そのまま自分を差別化する武器になったんです。
Bruce Mau Designに入社した当時、日本と同じ感覚で猛烈にアウトプットし続けるものだから、現地の同僚たちが完全に引いてしまって、「頼むからこれ以上仕事をしないでくれ」と真顔で止められたことが本当にありました(笑)。それでも僕はひたすら手を動かし続けたんです。生き残るために必死でしたからね。
当時の北米の社会構造は非常にシンプルで合理的でした。「やればやった分だけ、結果を出した分だけダイレクトに評価とポジションで返ってくる」という実力主義でした。当時の日本は、夜を徹しても正当な評価として返ってくるとは限らない風潮があったかもしれませんが、それに比べるとカナダは非常にやりやすかった。日本で厳しく教え込まれたマネジメント能力を発揮するだけで、「こんなにパンクチュアル(時間厳守)に仕事ができるのか」と絶賛されました。向こうは基本、8時間働いたらそれ以上は絶対に働かないのがスタンダードですから。
もちろん大都市に行けばよりコンペティティブ(競争的)になりますが、海外のスタジオは良くも悪くも「人を育てる」という意識がほぼゼロなんです。日本のように下積みから手厚く育てていく文化はなくて、結果を出した者だけが出世し、出せなかった者は容赦なく去っていく。プロスポーツのシビアな世界と同じです。そんなサバイバル環境が、当時の僕の尖ったメンタリティにマッチしたんだと思います。
特に当時のBruce Mau Designは変革期で、後任のCEOがニューヨークの名門スタジオ「2×4(ツー・バイ・フォー)」の厳しいマネジメント手法を取り入れたり、一流のデザイナーやディレクターをトロントに大量に引っ張ってきて、スタジオ内にあえて競争が生まれるような環境をつくっていました。ヒエラルキーのないフラットな状態で、インターンからシニアディレクターまで全員が対等の立場でアイデアを出し、クライアントがピックアップしたアイデアを出した人間がそのプロジェクトのオーナーになれるという完全なサバイバルです。そこで僕は徹底的に鍛え上げられました。社内コンペにおけるアイデアの勝率も高く、多くの仕事を抱え込んでしまうので、ある時ボスから「もう仕事を抱え込みすぎるな」と言われてしまうほどで(笑)。いま振り返れば、最高の「修行」だったと思います。
グローバル・ブランディングの源流としての「アシックス」と「Netflix」
西田さんが手がけられた多くの仕事の中から、ご自身のデザインに対する思想の土台となった印象的なプロジェクトを教えてください
西田:たくさんのプロジェクトがありますが、僕のキャリアにおいて思想の源流となったものを二つ選ぶとすれば、「アシックス(ASICS)」のグローバル・リブランドと、「Netflix」のビジュアルシステム構築のプロジェクトですね。この二つのプロジェクトが、「FIFAワールドカップ2026」のような大規模なグローバルプロジェクトのアプローチに非常に大きな影響を与えたと思います。
まず時系列だと、アシックスのプロジェクトです。これは僕がまだBruce Mau Designに在籍していた頃のもので、今から10年ほど前になりますね。アシックスさんは当時からすでに日本を代表する素晴らしいグローバルブランドでしたが、海外市場での競争力をさらに高めるために、ビジュアルアイデンティティやリブランディングを世界基準で刷新し、本格的なグローバル展開を進めようという大きな決断をされたタイミングでした。そこでパートナーとなるデザイン会社を選ぶために世界中のデザイン会社とピッチを行い、最終的にBruce Mau Designが選ばれたんです。

(Brand Strategy、Visual Identity、Content Creation、Campaign Creative Direction / Production)
Bruce Mau Design在籍時の制作
©️Bruce Mau Design

©️Bruce Mau Design
このプロジェクトのスケールは、僕のデザインの概念を根底から変えました。ストアの空間設計から、シューズのパッケージ、全体のブランディングロゴの規定、そしてWebサイトにいたるまで、表に出るブランドすべてを一からつくり直したんです。本当にすべてを、です。そしてこの仕事の最も面白く、かつ学びが深かったのは、ブランドガイドライン(規定書)を作成して納品して終わり、ではなかったという点です。
国際的なビジネスをスムーズにオペレーションするためのデザインという尺度でものを考える経験は、それまでまったくありませんでした。レストランのロゴや、製品のパッケージという範囲で留まっていたアイデアが、初めて地球規模の広がりを持ってオペレーションされる。そのダイナミズムを直に学べたことが、本当に大きな財産になりました。

©️Bruce Mau Design

©️Bruce Mau Design

©️Bruce Mau Design

©️Bruce Mau Design
もう一つの「Netflix」のプロジェクトでは、どのような課題を解決したのでしょうか。
西田: Netflixのプロジェクトは、Bruce Mau Design在籍時にリブランディングに携わり、Public Addressを立ち上げてからも引き続き重要な仕事としてその後に影響を与えました。もともとニューヨークに「Gretel(グレイテル)」という、名門のブランディング会社があるのですが、彼らがNetflixのビジュアルアイデンティティを制作したんです。あの赤いラインが重なりあうようなスタッキングシステムですね。それは当時、クリエイティブ業界で非常に高く評価され、大きな話題になりました。しかし、素晴らしいビジュアルアイデンティティなのですが、いざ日々の膨大なコンテンツを運用していくとなると、現場での実用的な落とし込みに少し工夫が必要だったそうなんです。
デザインのクオリティは高い。けれども世界中の多種多様な作品をあらゆるメディアへ展開するにあたって、運用のスピード感に最適化されたルールや、現場が求める柔軟性をさらに加える必要性が見えてきたんですね。
そこで、既存のデザインを整えるのではなく、今後Netflixという会社がグローバルで自社オリジナルコンテンツを制作・展開していくにあたって、「どのようなクリエイティブのツールキットが必要になるか」といった、未来を見据えた具体的な運用オペレーションを提案したんです。

(Brand Strategy、Visual Identity、Content Creation、Campaign Creative Direction / Production)
Bruce Mau Design在籍時の制作
©️Bruce Mau Design

©️Bruce Mau Design

©️Bruce Mau Design
僕たちはNetflixの象徴的なメインのロゴそのものには一切手を加えていません。Netflixもそこはブランドの絶対的なヘリテージ(遺産)なので変えたくないという意図もお持ちだったのでロゴはこのまま行こうと決めていました。むしろ徹底的につくり直したのは、ロゴのまわりにあるフォントのレギュレーションや、コンテンツごとに柔軟に変えられるカラーパレットの組み合わせルール、グラフィックのエレメントをどう取捨選択すればあらゆる画面サイズで美しく機能するかという、フレキシブルな「ビジュアルシステム」そのものです。
一見すると非常に地味で裏方の仕事に見えるかもしれませんが、会社のグローバルオペレーションを円滑に進めるために、デザインがどれほど緻密なコミュニケーション設計を必要とするかということを、身をもって理解できた素晴らしいプロジェクトでした。





自由にデザインされているように見えて、実はフォントやカラーパレットだけは統一して使おうという緩い共通のシステムをつくり、Netflixがイニシアチブをもってプロジェクトを展開できるように、必要な道具を揃えていきました。こうした数々の経験と蓄積が、次にお話しするFIFAワールドカップ2026のブランディングへと集約されていったのだと、強く実感しますね。
FIFAワールドカップ2026のデザインと、急速に進むデジタルブランディングの波
今回のFIFAワールドカップ2026のブランドアイデンティティにおける「メインコンセプト」と、その背景にあるデジタル戦略について詳しく教えてください。
西田: FIFAワールドカップ2026のプロジェクトが本格的に始動したのは2022年の夏でした。そのプロセスで導き出したコンセプトは「デジタルファーストでありながら、フィジカルな存在感も内包する、未来のブランドアセットの構築」です。
北米におけるデジタル化の波は凄まじいスピードで進んでいます。Figmaのようなデザインツールの普及やAIの進化も手伝って、生活スタイルそのものは、スマートフォンや各種モニターの画面が中心になってきています。日本はまだ紙のメディアや実店舗といった「フィジカルなデザイン」の文化が多く残っていますが、北米では本屋さんがデジタル書店に置き換わり、買い物もオンラインショッピングに変容しています。
2022年の段階で僕たちが考えたのは、「大会が開催される4年後の2026年には、世界のデジタル化ははるかに進み、人々の視覚体験はほとんど画面のなかに移行しているだろう」ということでした。だからこそ、4年後となる2026年の世界基準に耐えうる、デジタル空間を自在に行き来できるアセットをつくる必要があったのです。
2022年のカタール大会では、試合前にピッチ上で巨大なバルーン型のトロフィーを膨らませた演出が行われていましたが、2026年大会では、こうしたスタジアムの演出の多くが、確実にAR(拡張現実)やVR(仮想現実)といったデジタル拡張体験に置き換わると予測しました。そのためには、ブランディング自体も形を変えていかなければならない。

(Brand Strategy, Visual Identity, Content Creation, Campaign Creative Direction / Production)





たとえば、「26」の数字をモチーフにしたロゴが世界に公開された時、多くの人は「Photoshopでトロフィーの写真を数字の上に貼り付けた」と思われたようなのですが、実は緻密に設計された立体アセットなんです。FIFAが持つ最も神聖なアセットである本物のワールドカップ・トロフィーを、完全にスキャンし直し、色味や光沢の反射にいたるまで完璧にコントロールできる「3Dデータ」として一からデジタル空間につくり直しました。
というのも、この大会のブランドが、現実のスタジアムだけでなく、世界中のスマートフォン、配信画面、あるいは今後コラボレーションするであろうあらゆるデジタルゲーム、メタバース空間などで使用されるはず、と僕らから提言させてもらったからなんです。一般の方は本物のトロフィーに触れることはできませんが、デジタル化された3Dデータであれば、スマートフォンの画面を通して「裏側はどうなっているのか」「反対側や底面にはなにが刻まれているのか」といった、今まで見たことのないトロフィーの特性に誰でも直感的にアクセスできるようになります。プリントとしての機能性と、デジタル体験におけるリアリティ。この両方を鑑みながらブランドをつくり進めていく必要があったため、デザインシステムに求められる要件は格段に複雑で緻密なものになりました。

フォントもかなり特徴的な印象を受けました。これもデジタルブランディングを機能させるために開発されたのでしょうか。
西田: この巨大なコンセプトを支えるために、僕たちはブランド専用のオリジナルタイプフェイス(書体)を完全に一から共同開発しました。モントリオールに本拠地を置く、世界的に有名なフォントファウンドリである「パングラム・パングラム(Pangram Pangram)」とコラボレーションさせていただいたんです。

このフォントは、サッカーコートのラインや「丸・四角」の要素からインスピレーションを受けた幾何学的でモダンな美しさを持っていて、26使われているロゴ・フォントとも呼応しているのですが、大事なのは、デジタル環境に対応した「バリアブル・タイプフェイス(可変フォント)」としての機能を極限まで高めたことです。画面のなかで文字の太さや傾き、幅が滑らかにアニメーションして動く表現を楽しめます。そもそもこのフォントを開発した理由は、実用的で重要な課題を解決するためでした。
というのも、今回のワールドカップは3カ国16都市で開催されますが、開催都市それぞれの文字数が長短バラバラなんです。そこでロゴと都市のロックアップをつくる際に、実用的、なおかつダイナミックで、コンセプトに合致したオプションとしてたどり着いたのがバリアブルフォントでした。

FIFA女子ワールドカップ2023とFIFAクラブワールドカップ2025から紐解くデザインの系譜
今回のFIFAワールドカップ2026年大会の大胆なデザイン構造は、これまでPublic Addressが手がけてきたFIFAプロジェクトのクリエイティブと緩やかな繋がりがあるように感じました。
西田: 今回のFIFAワールドカップ2026のデザインは、単発的に生まれたものではなく、僕たちがこれまでFIFAとともに手がけてきたFIFA女子ワールドカップ2023(以下、女子W杯2023)、そしてFIFAクラブワールドカップ2025(以下、クラブW杯2025)という一連のプロジェクトと完全に地続きの系譜を持っています。
まず、わかりやすいところだと2023年の女子W杯(オーストラリア・ニュージーランド共催)ですね。過去のFIFA ワールドカップを振り返るとわかりますが、トロフィーの形を模したイラストの中に開催国の独特の色合いやカルチャーモチーフをギュッと詰め込む方式が採用されていて、それが商業的にも大成功を収めていました。
ただ、長年にわたってどの大会でも同じイラストによるアプローチを繰り返した結果、その表現自体が市場で完全に飽和してしまっていたんです。つまり、どの大会のロゴを見ても同じように見えてしまい、視覚的に大会ごとの区別がつかないくらいになっていました。そのため、僕たちは根源的な提言をピッチの場でぶつけてみたんです。
「もしかしたら、トロフィーの形を起点にしてアイデンティティを組み立てるという考え方自体が、もう限界を迎えているのではないか」といった視点です。トロフィーは最終的に大会の勝者が得るシンボルです。一方で大会そのものが持つメッセージや、32チームが集まるコミュニティの熱量といった大きなテーマは、トロフィーの形に縛られずにもっと別のビジュアルシステムで表現すべきではないか、というお話をしました。
そんな背景もあり、女子W杯2023でのブランディングにおいては、トロフィーをメインのモチーフにはしていません。しかし、一方でFIFAには「ワールドカップ・トロフィー」というアイコンの絶対的なヘリテージ(遺産)を諦められないという強い思想もありました。サッカーファンなら一瞬で「あ、ワールドカップだ」となりますよね。
そこで僕たちが提案したFIFAワールドカップ2026の戦略は、「トロフィーの現物」をそのまま使い、「まわりのシステム」を大会や開催都市ごとに変化させよう、というアイデアでした。それゆえロゴはイラストでなく本物のトロフィーの3Dデータが中央にそのまま不動のアイコンとして鎮座しているんです。


(Brand Strategy, Visual Identity, Content Creation, Campaign Creative Direction / Production)
FIFA女子ワールドカップ 2023のロゴでは、トロフィーではなくサッカーボールがモチーフになっている
このシステムのメリットは、大会ごとの区別がファンの目からもより明確で判別しやすくなることです。大会によってアイデンティティが異なることを示しながら、その時々のワールドカップが共通のプラットフォームで美しく共存できると、個人的には考えています。
2023年の女子W杯では、デザインの重要な要素としてアーティストとのコラボレーションがあったともうかがいました。
西田:2023年のプロジェクトをつくるにあたって、僕たちはオーストラリアとニュージーランドの現地のネイティブであるアボリジニやマオリのアーティストの方々と密接にコラボレーションさせていただきました。彼らの独自のアートや歴史的なカルチャーを徹底的に勉強させていただくなかで、彼らの表現には「丸」が多用されるなど、プリミティブな幾何学の形が多く使われているという共通点を発見したんです。そこで、サッカーというスポーツも当然ながら「丸いサッカーボール」を使用しますから、世界中から集まる32のチームを32の幾何学的なスクエア(四角)として表現し、それらが集まって一つの大きなサッカーボールと大会の祝祭を盛り上げるという願いをビジュアルに込めました。ロゴの背景の薄いグラフィックの部分には、彼らの伝統的なローカルパターンが繊細に散りばめられています。



これは裏話になりますが、ロゴのサッカーボールのデザインを決めるのに、数百というスケッチを描いて検証したんです(笑)。最終的に「誰もが一瞬でサッカーだと認識できる、このクラシックな五角形と六角形の組みあわせがもっともわかりやすい」という結論に至り、この形に落ち着きました。
当時の僕はPublic Addressに入社したばかりのタイミングだったので、チームのメンバーともまだ仕事の方法の探り合いでしたし、違うカルチャーのなかで自分自身の環境的にも非常にタフなチャレンジの連続でした。だから正直なところ、「もっとよくできたかもしれない」という悔しい気持ちもないわけではありません。もちろん満足する部分もあるのですが、すべての仕事において常にそういった反省はあります。
FIFAクラブワールドカップ2025における、デジタルと現物の融合
「本物のトロフィーを起点にまわりを変化させる」という思想は、2025年のクラブW杯でどのように進化したのでしょうか。
西田:2025年のクラブW杯はそのアイデアに真っ向からチャレンジし、さらに進化させたプロジェクトでした。全体のテーマは「どれくらい微細な情報をロゴに詰め込めるか」という、デジタル化だからこそできる表現へのチャレンジです。
そもそもあの大会のシンボルである「現物のトロフィー」のデザインコンセプトになったのは、NASAがボイジャーに搭載した「ゴールデンレコード(ゴールドディスク)」なんです。そこからインスピレーションを受け、サッカーの豊かな歴史やルールを複数の言語に翻訳し、トロフィーの表面に膨大な情報量のエッチング(彫刻)が詰め込まれました。その緻密な立体プロダクトのディテールをそのままデジタルの「3Dロゴ」に落とし込んだんです。どんなに微細な情報であっても高精細なデジタルスクリーンなら完璧に表現できるという、デジタルならではの可能性に挑戦しました。






もちろん出力への配慮として、3Dデータの書き出しだけでなく、3Dで表現できないメディアのために2Dにフラット化したバージョンも用意しました。ビジュアルシステムとしても、開催がまだ遠い時期には抽象的な表現からスタートし、近づくにつれて徐々にリアルな立体像になっていくような可変的なシステムを提案したんです。
実際には、2023年の女子W杯の直後にFIFAワールドカップ2026、クラブW杯2025という時系列でデザインを手がけました。2026年の「26」というシンプルな数字の前にリアルな3Dトロフィーがシンボルとして佇む、ミニマルで機能的なブランドアイデンティティは、他のふたつの大会のデザインコンセプトと繋がりがあることがおわかりになると思います。
提案の核は「期待を裏切ること」と「盲点をクリアにすること」
これまでのご経験を踏まえて、クリエイティブディレクターとしての核にある「大切なこと」について教えてください。
西田: Public Addressが多くのグローバル企業とご一緒できる最大の要素は、一貫して「クライアントの期待を心地よく裏切ること」、彼ら自身が気づいていない「ビジネスの『盲点』をビジュアルでクリアにする」ということです。
それは、単に驚かせるための突飛なアイデアを出すことではありません。あらゆるブランドや組織は独自の課題や矛盾を抱えているものですが、ビジネスの当事者には見えづらい「盲点」が必ず存在します。僕たちのスタジオは、外部だからこその客観的な視点で、その盲点を見つけ出し、言葉とビジュアルで提案するのが得意なんです。
クライアントが提示してきたRFPの枠組み通りに答えるのは、本来的な課題解決に結びつかないことも多くありました。むしろその意図をしっかりと伝えながら、「本当にクリアにすべき課題はこの盲点の方ではないですか?」と示し、長期的なビジネスの広がりや成長が見込めるシステムを提示すること。このアプローチがあるからこそ、僕たちの提案が選ばれるのだと思います。
グローバルな統一性とローカル文化の融合
巨大な国際大会が抱える最も大きな課題とはどのようなものでしたか? また、いかにその課題をデザインで解決したのでしょうか。
西田:大きな国際大会のブランディングにおいて、最大の「盲点」になりやすいのが、まさに「グローバル(世界基準の統一性)」と「ローカル(開催地の固有文化)」の両立という問題です。
過去の大会ならば「グローバルな威厳を持つ圧倒的なロゴマーク」でも成立していたと思います。しかし現在は、大会を開催し、莫大なインフラ費用を支える開催地の人々や文化も同じように価値があることを伝えなければ、ブランドは社会に根づかないし、ビジネスとしても成功しません。このグローバルとローカルの両立を、今回のFIFAワールドカップ2026のピッチではシステムとして展開しました。
具体的には、大会史上初めて「16の開催都市ごとの独立したブランディング」を個別につくり込みました。過去の大会でも都市ごとにイメージカラーを変える程度のマイナーチェンジは行われていましたが、今大会では明確にブランディングを区別しました。16都市の方たちに、プライドを持って自分たちの街で開催していると思っていただきたかったのです。



そのために構築したのがグローバルとローカルを完全に切り離した、「カラーパレット」と「独自のグラフィックアセット」です。共催の3カ国、16の開催都市など、用途に応じてそれぞれ独自で設計しました。こうすることで、たとえば開催都市のデザイナーはガイドラインに従って作業するだけでデザインをつくり込むことができます。それらとは別に、FIFAのサービス専用のパレットも用意したので、お互いにデザインの領域を侵すこともありません。
さらに、この分離の発想はビジネス面でも効果を発揮します。各開催都市が固有のブランディング表現とグラフィックアセットの権利を持つことで、「専用の3D立体ロゴや開催地としての表現が使えますよ」などと、その都市固有のグラフィックアセットをもとにクライアントと会話を活性化させることができます。
グローバルな統一ブランド力を損なうことなく、ローカル都市固有のオリジナリティと経済的な実利を最大化させる。この視点を用いたデザインシステムを提案したからこそ、僕たちのスタジオが選ばれたのだと、いまになって改めて感じています。
「理(ロジック)」が支えるデザインと実践
西田さんが長年いらした北米のデザインの現場における「合理性」と、日本のクリエイティブ文化の違いについてはどう考えていますか?
西田:近年の日本も同じだと思いますが、北米のグローバルデザインの現場ではまずロジックが先に立ちます。フィーリングでデザインを組み立て、それが採用されるということはあまり聞いたことがありません。その理由としては、海外のエージェンシーや企業は人材の流動性が激しいために再現性が不可欠であること。もうひとつは、社内での説明義務やビジネスの戦略を練る際に、個人の感覚に頼ることはリスクを伴うと考えられているからです。
もしデザインを「自分の感性でこの色と形にした」という曖昧なフィーリングで進めてしまうと、プロジェクトを引き継いだ人が「なんで前任者はこのフォントを選んでいたの?」と理由がわからなくなり、運用が立ち行かなくなってしまいます。だからこそ、すべてのデザインエレメントに対して、誰が見ても100%納得できるロジカルな「理(理由)」を考えておかなければならない。理由さえわかれば後からその意図を正確にトラックできますよね。
その点、まるで刑事が証拠をひとつずつたどっていくように、「これが課題だから、前任者はこのフォントを選び、このカラーパレットを設計したんだ」ということが、デザインファイルを見ただけで理解できるようになることが、優れたデザイナーには不可欠な実務だと思っています。
帰国後に見つめる日本の「ディープなカルチャー」
日本に帰国されてから約1年が経つとのこと、現在の日本の街の変化やクリエイティブの可能性についてどう感じていらっしゃいますか。
西田:19年ぶりに日本に帰国して、新しく生まれ変わった下北沢の街に久しぶりに足を運んだ時は、さまざまなショックを受けましたね。駅の周りの構造が昔と完全に変わっていて、どこの出口から外に出ればいいのかすらわからなくなって迷子になりました(笑)。でも、都市計画の観点から見れば、あの再開発は間違いなく大成功なのでしょうね。週末には人がたくさんいますし、集まっている若者たちの熱量が素晴らしい。日本独自の古着文化やストリートのインディーズカルチャーが、若い世代の手によって廃れることなく次のステージへと引き継がれて息づいています。
また、面白い独自のストリート文化が各所で芽吹いている気がします。デジタル化が行き着いて画面の中だけで完結しがちな北米の乾いたクリエイティブ環境に比べて、日本には、人と人がフィジカルでエモーショナルなコミュニケーションができる素地が、街のあちこちに豊かに残されています。そうした人間味あふれる下地があるからこそ、日本は世界的に見ても他に類を見ないほど複雑で、ディープで、深みを持ったカルチャーを維持し続けられているのではないかと、帰国して改めてその可能性を強く実感しています。
