目次
「オフィシャルカメラマンが多すぎるのよ!」
前半のトークセッションが佳境に入ったあたりで、Sunny の原さんがそう言った。会場の前には2人が動き回り、後ろのほうに私。たしかにイベントの規模からすると多すぎるかもしれない。
「そこにフォトディレクションコースを受けていたトムさんがいますね。業界の広報と言われてますけど、トムさんにはこの会のレポート記事も書いていただきます」
校長の中村さんだ。業界の広報とは一体なんなんだ。ありがたいような、逃げ場がないような。「早めに頼むよ」そう聞こえた気がした。
改めまして、業界の広報担当(?)こと、トム・イシカワです。

20年ほどクリエイティブ業界での採用とキャリア支援に携わり、いまは写真を撮ったり文章を書いたりもしている。今日は CREATIVE CLASS の受講生兼公式レポーターとして参加していた。
2026年9月4日。青葉台にある Studio社 のオフィスに、CREATIVE CLASS の受講生が集まった。「CREATIVE CLASS MEETUP #1」。開講から1年、コースを終えたマスターと受講生たちが、はじめて一堂に会する日だった。
マスターは9名。そのうち8名が会場に集まった。受講生は、50人ほどいただろうか。
正直に言えば、この日会場に向かう前、私が思い浮かべていたのは「憧れの人に会いに行く日」という絵だった。
マスターと呼ばれる人たちが前に立ち、教わった側はそれを少し離れたところから聞く。かくいう私も写真集作りの課題を抱えたまま、もがいている最中である。遠くにいる人たちの話を、遠くから聞く。そういう会になるのだろうと。
実際にそこにあったものは、少し違っていた。


校長挨拶:1年で9コース、関係者は約100名

「校長挨拶と言ってもそんな大したあれはないんですけど」
そう前置きしてから、中村さんが数字を並べた。
開講してちょうど1年。9人のマスターが、それぞれのコースを走り終えた。1コースの定員は10名。そこにTAとして参加してくださっている運営の方とマスターが加わって、1コースあたりの関係者はおよそ12名。それが9コース分。
およそ100名。
この数字が大きいか小さいかはわからない。でも、1年前にはこのスクール自体が存在していなかった。何もないところから繋がった100名だ。その数字以上の意味がある気がしている。
ちなみに、この「10名」という定員は、CREATIVE CLASS の設計でかなり早い段階に決まっていたらしい。この日のトークでも、繰り返し話題にのぼることになる。

会場は Studioさんのイベントスペース。あの、 Studio 謹製のビールもある。爽やかであっさりとしていて美味い。中村さんがお礼を皆に促し、ビールとおんなじテイストのあっさりとした小さな乾杯で始まった。中村さんらしいといえばらしい。
振る舞われた軽食は、Studio のちゃんれみさんオススメのミニハンバーガー。あとで聞いたのだが、一人2個までという案内が冒頭にあったらしい。実をいうと、私は4個食べた。ごめんなさい。
そして会場が緩む。会話が始まる。
さあ、ここから、マスターたちのトークだ。

エピソードトーク:前半
宇都宮 勝晃「その辺ね、ちょっと磨きたいんですよ」
【KEI inc. | デザインの「入口」と「出口」を鍛える、頭・手・目の実践】
トップバッターは宇都宮さん。CREATIVE CLASS の記念すべき第1回のマスターを務めた人である。
「KEI という会社でデザイナーをしております、宇都宮と申します」
最近独立された、と中村さんが添える。コースを担当した当時の所属は Shhh inc.。1年という時間の長さが、こういうところに出たりするものだ。マスターも、受講生も、立場が大きく変わっていたりする。かくいう私も、ではあるが。
記念すべき第1回ということもあって応募が殺到し、10名を選ぶのに相当悩んだという。応募動機の欄を、みんな異常なくらい書いてくる。年齢もキャリアも住んでいる場所も、なるべくバラバラになるように選んだ。
「あ。1番恥ずかしいやつ、思い出した」
エピソードを振られて、宇都宮さんが話し始めたのは初回セッションの話だった。第1回ということもあり、オンラインの接続がうまくいかず、一部の人だけが繋がっている状態。まだ自己紹介も始めていないため、ここで話してしまうと後から来る人が置いていかれてしまう。待つ、を選択した宇都宮さんがいう。
「固まっちゃったんですよね、確かね」
いい感じの雑談ができればいいのだが、どうにもそれが苦手らしい。
「ここ4、5年ぐらい思い返しても、1番気まずい時間だった」
会場の笑いを誘う。当時の受講生も何人か会場にいて、そわそわしていた記憶があるらしく、激しく頷いていた。

そのあと、宇都宮さんはこう続けた。
「雑談力がないんですよ。中村さんとか、あとね、原さんとかも多分そうですけど、多分できちゃうんですよね。その辺ね、ちょっと磨きたいんですよ」
磨きたい、と現在形で言った。
コースを振り返る場面だが、自分に足りないものの話に帰結した。しかも過去形ではなく、これから鍛えたいものとして。
📎 宇都宮コースの受講生記事
野田 一輝「もうなんか1人になりたくて」
【UNIEL ltd. | 「感覚」を「戦略」に変える、共創で磨く”超”提案力】
「めっちゃ嫌でしたね」
これが野田さんの第一声である。最初に中村さんから声がかかった時、とても嫌だったらしい。
ブランディングのコースで、受講生のレベルがばらけるようにあえて設計した。そして、全員が同じスタート地点に立てるよう、野田さんはヒアリングシートを用意していた。
「実は、うちの中途採用試験でやってることなんですよ」
自社の採用で使っているものを、そのままコースの導入部分に持ち込んだ。会社を経営し、自ら手を動かす現場感のあるマスターだからこそできることなんだろう。

印象に残ったエピソードを聞かれて、野田さんが話す。
授業が終わるのは毎回、だいたい午後11時。そのあと、家まで3時間歩いて帰っていた、という。毎回だ。
「余韻と疲れがすごすぎて。もうなんか1人になりたくて」
その3時間で、何をしていたのか。
「あの人はなんでこういうことを言ったんだろうとか、この人はなんでこういう話をしたんだろうとか、意図をちゃんと考える時間を作ってたんです」
どうやら授業の続きを、路上でやっていたらしい。
中村さんが続ける。受講生と Figma を共有していたので、たまに覗きに行っていた。
「いっつも野田さんいるんですよ。動いてるんですよ。恐怖でしたよ、あれ」
野田さんが「僕は24時間体制、コンビニエンスストアですから」と返して、笑いが起きた。
受講生がマスターと直接向き合えるのは、隔週のセッションの時間だけである。私たちが「教わっている」と認識できるのは、その枠の中だけなのだ。建付けとしては。
けれど実際には、その枠の外側にとんでもない量の時間が積まれていた。授業終わりの3時間や、誰も見ていない夜の Figma の中に。
それだけの熱量で向き合ってくれていたということなんだろう。
そしてもうひとつ、聞きながら引っかかっていたことがある。マスターに向けられた問いは「コースはどうでしたか」だ。
それなのに宇都宮さんも野田さんも、成果や手応えの話ではなく、返ってきたのは自分に足りなかったものと、自分が費やした時間の話だった。
📎 野田コースのレポート
中川 博文「逆に自分でめっちゃ勉強になった」
【ANDMADE Inc., Nauts | 「面白さの種」を見つけて咲かせる思考術】
アイデアの見つけ方と、見つけた後にどうするか。そのプロセスを扱ったコース。
やってみてどうだったか、と聞かれた中川さんが答える。
「自分が感覚的に普段やってたことを、ちゃんとロジックでプロセス立てて、わかりやすくして、授業にしたらどうなるかなみたいなので設計したんですけど、逆に自分でめっちゃ勉強になった」
自分の考えを改めて理解できた、と。
中川さんは Nauts のメンバーとして活動し、チームやプロジェクト単位で人と組むこともあるが、独立してから長く、基本的には個として業界の第一線を走ってきた人だ。自分の手つきを誰かに継承するという機会は、あまりなかったのだろう。
体に染み付いた感覚でやれていたことを、言葉にし、順番に並べ直す。しかもそれを、対価を払って学びに来た人たちに通用するところまで持っていく。第一線でやっている人ほど、他者に対してそんな時間は取れないし、取る理由もない。
その時間を、マスターである9人が引き受けたのだ。

「よかったっす。よかったっすけど、2回目はもうない」
中川さんはそう言って笑った。この「2回目はもうない」は、この日いろんなマスターの口から出てくることになる。もちろん半分は冗談で笑いを取りにいっている。もう半分は本気で、それだけ注ぎ込んだということでもあるのだろう。
印象に残った出来事を聞かれて、中川さんはこう答えた。
「いきなり覚醒した瞬間ってのは、見ててめっちゃテンション上がりますよね」
課題のやり取りを重ねるうちに、ある回を境に急激に伸びる人がいる。その瞬間に立ち会ったことを楽しそうに話していた。中村さんが「立場上、ビデオを全部見てるんですけど、恋リアみたいに1個前を見返してから見るから余計に感動する」と乗っかると、中川さんはこう続けた。
「ほんのちょっとしたアドバイスなんですよ。それを自分なりに咀嚼して、解釈して、ちゃんとアウトプットのクオリティを上げてきたなみたいなのを見れた時は、ほんとすごいなって思う」
自らの学びになった話と受講生の覚醒に興奮した話。教えるという行為の手応えやメソッドの話はほとんど出てこない。
📎 中川コースの受講生記事
原 英寿「僕が何を渡せばいいのかって、ずっと悩んでて」
【Sunny Inc., Nauts | 「キービジュアル大喜利」で磨く表現力と発想力】
中野さんの到着が遅れていたので、急遽順番を入れ替え、原さんが登壇した。こういう場でも動じないのが原さんだ。
「Sunny という会社をやっております、原と申します。皆さんこんにちは。受講ありがとうございました。ほんと嬉しかったです、いっぱい応募してくれて」
引き受けたときのことを聞かれて、原さんは意外なことを言った。
「中村さんね、僕、やると思ってなかったんですよ。こういう講師とか、できないと思ってたから」
教えることの難しさを知っていたから無理だと思っていた、と。
コースのテーマは「キービジュアル大喜利」。
デザインにおいては裏付けやロジックも大事なのだけれど、それがなかったとしても「ノリでやってみました」みたいなコースが1個ぐらいあってもいいんじゃないか、そう思って企画したという。本人も意外なほど応募が多かったようだ。
「簡単そうに見えたんだと思いますよ。まんまと作戦どおりでした」
顔は笑っているが目はマジなやつ。実際には全然簡単なお題ではなく、裏で泣いていた人が多かったらしい。原さん本人は「僕は厳しくない」と言い張る。受講生同士が切磋琢磨し、自然と厳しさが生まれる構造になっていたようだ。ほんとかな。
ここで、原さんが定員の話に言及した。
「20人だとやっぱ多すぎて、ちょっと自分はこのくらいでいいかなって考えられると思うんですけど、10人という数だと逃げられないですよね」
原さんが続ける。
「で、5人だと狭すぎて逆に離脱しちゃうと思うのよ。だから10人ぐらいがいい。ほんとちょうどいい」
逃げられない人数。マスターの目があり、自分以外の9人の受講生の目がある。向き合うしかない。ここが CREATIVE CLASS の設計の核なのだと思う。

そして、こんな発言が出た。
「僕が何を渡せばいいのかって、ずっと悩んでて」
実案件でもない。どっちが正しいということもない。だから、何を渡せばいいのかがわからない。
「ずっと悩み続けたままでした」
そのまま終わったのかというと、そうではないらしい。
「悩んでいたけど。でも、成果を持って帰ってほしいって、ずっと思ってたんですよ、最初にね。でも、そんなのなくていっか、ってなって。”空気感”を持って帰っていただいたような気がしてます」
技術でも、正解でもなく、空気感。
その空気感というものが何だったのかは、原さんを見ていてわかったような気がした。突然の登壇でも慌てることなく、自己紹介から笑わせにくる。受講生をいじり、自分をいじり、会話のテンポや抑揚で、場がゆるんでいく。空気がひらく。集中のルーティンを聞かれて「庭に滝があるの。それに打たれる」と即答してみせた。会場が一瞬止まった気がしたが、それすらも原さんらしい。
面白がる態度が、そのまま空気感をつくっている。

受講生のまるがおさんが書いた記録を読むと、原さんの言葉がいくつも残っていた。
「煮詰めすぎず捨てる勇気を持て」
「誰がやっても一緒じゃんという見え方にはしないという信念が必要」
渡すものに悩んだ末、空気感と本人は言ったが、受講生の側にはしっかりとたくさんの言葉が渡っていた。
📎 原コースの受講生記事
- Choko さん「デザイナー&ディレクター3年目 CREATIVE CLASS を受講します」
- marugao さん「経験8ヶ月のWebデザイナーがCREATIVE CLASSを受講する【前編】」
- marugao さん「経験8ヶ月のWebデザイナーがCREATIVE CLASSを受講した話【後編】」
交流タイム:一方通行だった学びが、双方向になった
前半のトークが終わり、中村さんが会場を動かす。
「名札の色と同じテーブルに向かってください」
参加者の名札には5色のいずれかがついていて、各テーブルには同じ色のシールが貼られたボックスが置いてある。自分の色のテーブルに行くと、必然的に違うコースの人と混ざりあえる仕掛けだった。
マスターのトークに夢中だった面々は、軽食のミニハンバーガーを手に取り、それぞれの色のテーブルへと散っていく。





交流会というと、名刺を交換して所属と仕事内容を交換し合う場になりがちだ。ここはそうではなかった。コースは違えど、全員が3ヶ月ぶんまるまる自分と向き合い、マスターのフィードバックを浴びてきている。話す前から、お互いが何を体験し、何をくぐってきたかがわかっている。
ここにいる人達は「面構えが違う」のだ。
ディレクション、デザイン、エンジニアリング、写真。学んできたこと、歩んできた道がまるで異なる。専門も、年代も、住んでいる場所もバラバラなのに、会話が途切れない。各テーブルにいるマスターを中心に、言葉と熱量が交換され、後半のトークが始まる時間になっても、話は終わらなかった。


この記事を書くにあたり、より立体的にこの場を伝えたくて、何人かの受講生に感想を聞かせてもらった。ある受講生は、こう教えてくれた。
デザイナーの方々は元々の知り合いの方々も結構いらっしゃったのですが、エンジニアさんやフォトグラファーさんとお話しできる機会は今までなかったのでとても貴重でした。領域を跨いで授業展開をしている CREATIVE CLASS だからこその出会いだな、と思いました。
ブランディング、デザイン、エンジニアリング、フォトディレクション。多様な分野にまたがる9つのコースは、そもそも同じクラスタにいる方々を集めることを想定していない。名札の色で混ぜたのではなく、混ざる前提でコースが組まれていたということなのだと思う。
もう一人の話もとても印象的だった。
毎回みんなの課題内容がすごすぎて、勝手に同じ受講生に対して強い”劣等感”を抱いていました。会場に入った瞬間、どのツラ下げて来たんだと、引け目を感じたくらい。
そして、こう続ける。
でも、みんなと話してみると、みんな同じ気持ちだったということが分かり、少しだけ心が晴れました。CREATIVE CLASS ではマスターからフィードバックを一方通行で受け取るだけなので、今回初めて一緒に受けていた仲間の思いを聞けて、その”劣等感の呪い”みたいなのが解けた気がします。
一方通行だった、という指摘にはハッとした。
隔週のセッションでは、課題を出し、マスターからのフィードバックを受ける。他の受講生のアウトプットは見えるけれど、その人が何を考え、どこで詰まっていたかまではわからない。見えるのは、それぞれが悩み、もがき抜いたあとの結果だけだ。だから、自分だけがうまくできていないように感じてしまう。
この日、はじめてそれが双方向になった。マスターと受講生のあいだも、受講生と受講生のあいだも。
マスターの話を聞いて「マスターも悩んでいた」と知り、隣の受講生と話して「みんな同じだった」と知る。交流タイムという名前がついていたけれど、実際に起きていたのは、もっと具体的で、大事な気づきの交換だったように思う。
交流タイムの途中、宇都宮さんと話したことが印象に残っている。
宇都宮さんとは、時期を同じくして独立した同期にあたる。比べるのもおこがましいのだが。圧倒的に鮮やかなスタートを決めていて、随分と遠い背中だと思っていた。
その彼が「属人性を大切にしたい」と言った。私自身も、属人性一本で走ってきた節がある。遠かった背中が、少しだけ近くに見えた気がした。

エピソードトーク:後半
中野 浩明「ひらめきは、グラデーションだった」
【L/O | ひらめきの正体と設計 小さなきっかけを大きな違いに】
後半のトップバッターは中野さん。前半の開始時には到着が間に合わず、順番が入れ替わっていたその人である。
普段は新潟にいて、常に忙しくしている。会場で中野さんを探すと、飛び抜けて背の高い人が目に入った。よし、いるいる。
コースのテーマは「ひらめき」。3ヶ月のコース期間中に本当にひらめくのかどうか、企画した側としても怖かったのではないか。中村さんがそう振ると、中野さんの答えは意外だった。
「結構グラデーションだったな、と」
もともとは非連続に起こるものだと思っていたという。個人の中に、深く深く潜っていき、悩んで、苦しんだ先にあるときふっと浮かび上がってくる。そういうイメージだった。
ところが実際は違った。
「受講生の方からのアウトプットを受けて、それが僕の刺激になって、僕がこういう視点があるのかもとフィードバックを返す。ひらめき返しというか」
刺激を受けて返す。返されたものにまた刺激される。そのループの中で、ひらめきの種がうまれ、じわじわと磨かれていく。
これはおそらく、CREATIVE CLASS という場の構造そのものが生んだ結果だと思う。3ヶ月という地続きの時間に、隔週でのフィードバックループが回り続ける。ひとりで潜り続けることができない。自分とマスターの間を思考が往復しながら、手が進みつづける設計になっている。
ひらめきというものが、個人が深く潜り込んだ先から出てくるものだとしたら、この設計はむしろ邪魔になる。でも実際に起きたのは、その逆だった。

中野さんのコースは、実案件を扱った。新潟の菓子ブランド「ドレス」。帝国ホテルで長くパティシエをしていた人が起業したブランドである。最終プレゼンには、クライアントが同席した。
そして、最終的に選ばれた受講生と仕事を共にしているという。
「今もまだちょっとやっている最中ではあるんですが」
中野さんは、コースの中だけで完結させていない。ひらめきが受講生とのやりとりの中で起きたように、コースが終わったあとも、その延長線上で続いている。
マスターと受講生という関係が、いつのまにか別の何かに変わりつつある。ひらめきも、関係性も、グラデーションのように移り変わっているのだ。
DRESS MITA MASAKI LAB. |【ドレス】公式通販オンラインショップ
📎 中野コースの受講生記事
- 青木さん(Re:design News)「クリエイティブクラス『ひらめきの正体と設計』を受講して」
岡部 健二「僕はデザイナーは神じゃないなと思って」
【mount inc. | Webサイトの表現を企画できるエンジニアになろう】
「mount の岡部と申します。今日、たぶんデザイナーしかいないっすよね」
第一声がそれだった。実際、会場にエンジニアはごくわずかの参加だった
「僕はデザイナーは神じゃないなと思って」
コースを企画した動機を聞かれて、岡部さんが最初に出したのがこの一言である。
エンジニアはデザイナーに文句を言いがちだけれど、と続く。
「でもデザイナーもそんな神じゃないし、そんな、あらゆること考えてデザインできないよって思ってて」
だからエンジニアも、企画やデザインのフェーズから入っていける人が1人でも増えたらいい。
ワークフロー上、デザイナーの後にエンジニアが来る。その順番が、そのまま上下のように扱われていないか。神がいて、その指示を受ける人がいる、という構図。岡部さんはその在り方を否定し、目的を共にするプロジェクトに、神はいないと言い切る。

その岡部さんが用意した課題が、少し変わっていた。
ポートフォリオサイトを作る、というもの。ただし、自分のものではない。自分が理想とする誰かを作り上げ、その人のポートフォリオサイトを作る。
平日は何をしていて、朝何時から仕事をしていて、何を趣味としているのか。細部まで書き出し、名前までつけていく。実際には、女性のサブカル系アーティストや、口ではなく背中で語る左官職人、といった“誰か”が作り出されていた。
自分ではない、理想的な誰かを想像する。そうすることで新たな視点での魅力の捉え方が可能になる。指示されたものを作るのではなく、自ら作り出し、最適な表現へとつなげていくという課題だ。
岡部さんがいう。
「強制じゃないんですけど。誰か公開してくれるかなって思ったら、今んとこ0人でww」
企画に比重を置きすぎたのか、後半の実装が駆け込みだったと本人も認めていた。
実装をメインとするエンジニアの皆さんが受講生となり、普段はあまり関わらない企画やアイディエーションの領域に踏み込んだコースだった。関わらないからこその学びがあったのかもしれない。
私は、ポートフォリオ大好きマンなので正直めちゃくちゃ見たい。もし気が向いた方がいれば、いつか公開してもらいたいな、と淡く期待を寄せている。
shuntaro マスター不在の中、受講生2人が語る
【bird and insect ltd. | 言葉を超えてストーリーを伝える「写真」の作り方】
マスターである shuntaro さんはこの日、残念ながら都合がつかず欠席だった。
代わりにコースの様子を説明してくれたのは、司会をしていた校長の中村さんである。というのも、中村さん自身がこのコースの受講生だったからだ。
「企画していたら、僕も受けたくなっちゃって応募しました。正規ルートでちゃんと選んでもらって。お金もしっかり払いました」
写真をビジュアル言語として捉える。1秒で伝わる写真を撮るために、レンズの使い方、画角、レイアウトが与える印象をすべて言語化し、他者に手渡していく。フォトディレクションができれば、自分でも撮れるようになる。そういうコースだった。
ただ、実際にやってみると、想像していたよりもずっと、作家性が求められる授業となった。最終的なゴールが、写真集を作ることだったからだ。
小玉さんが横から入る。
「言語化は精緻にしなければいけなかったんですけど、フィードバックはすごく抽象的で」
中村さんが即答した。
「えぐかったですよね」

このコースには私トムも受講生として参加していたので、その感覚はよくわかる。フィードバックの言葉は、たしかに抽象度が高い。「なんか違う」「これは面白くなりそう」。理由はその場で説明されない。
ただし、抽象的なのは言葉の表面だけだった。
「この時代のこういう考え方だよね」「こういう写真家が参考になりそう」「あなたのこの作品はこういうテイストに近いよね」。リファレンスは、これでもかというほど具体的に提示された。私はそこで何冊ものすばらしい写真家や写真集に出会っている。
答えを具体的な言葉で渡すのではなく、参照先を照らしながら、プロセスを渡す。明らかにそっちではない方角を消していく。これ自体がディレクションの一つの型であったのかもしれない。
そしてこのパートで、中村さんが自ら暴露した話がある。
「課題を2回出せなかったんですよね。小玉さんに、しっかり怒られました」
小玉さんが割って入る。
「校長兼TAなのに課題出さないって、士気を下げるんで、ほんとやめた方がいいですよ!」
追撃が容赦ない。
笑い合いながらのやり取りを聞いていて、実のところ私も耳が痛かった。私の場合、受講生というだけの立場ではあったが、完成させきれなかった回、明らかに思考が不十分だった回が何度かあった。小玉さんの言葉がしっかりと自分にも刺さっていた。
中村さんは、その埋め合わせとして写真集を2冊作っている。倍やったから許してくれ、ということらしい。
そして、このコースは展示会へと染み出し、9月25日(金)から27日(日)までの3日間、写真展が開催されることとなった。もちろん私も作品を出すが、執筆時点ではまだ完成しておらず、小玉さんの顔がちらついている。
shuntaro コース 写真展(2026年9月25日〜27日)

小玉 千陽「考え方そのものを教えたほうが役に立てるかな」
【ium inc., THE GUILD | Design as Chemistry ─ 自由を生み出す元素化思考】
小玉さんは、この日登壇したマスターの中でただ一人、受講生としても CREATIVE CLASS に参加していた人である。shuntaro コースを受けながら、自分のコースも持った。
コースを設計するとき、まず考えたのは「何をやらないか」だったという。
「そうそうたるメンバーがデザイナーに向けての講座をやってたんで、自分はそうじゃない方がいいかな、っていう始まりでした」
宇都宮さん、野田さん、中川さん、原さん、中野さん。デザイナーとして一線で活躍している人たちが並び、デザインを教える人はもう十分にいる。だから自分は、デザインではないところに行く。
「自分がずっとやってきてたことというか、考え方そのものを教えた方が、皆さんの役に立てるんじゃないかなと」
そこで持ち出したのが「元素化思考」だった。
複雑に絡み合った物事をいったんほどき、最小単位まで分解して、その対象が本来もっている構造を見つけ出す。小玉さんが日々のディレクションやデザインにおいて、実際に使っている思考のアプローチである。
「好きなもの100個集めて分類するところから始まって、自分の指向性を把握して、その上で自分の思考を操ろうっていうのが元素化思考なんです」

このコースにはもう一つ、特別な事情があった。CREATIVE CLASS で初めて、アーカイブとして販売されるコースだったのである。
受講生からずっと、動画配信やアーカイブ販売を望む声が多くあった。中村さんはそれを実現したかったが、そのためには、その場にいなくても学べるだけの構成の強度が要る。
「ium メソッドみたいな感じのやつを作り上げてもらえませんか、っていう無茶振りをして」
「すごい無茶ぶりでしたよ」
小玉さんが即座に返す。
実際問題、これは相当なプレッシャーだったはずだ。ライブの授業なら、その場の空気で補える部分がある。日々培っていく関係性が補うものもあるだろう。しかし、アーカイブにはそういう余白がまったくない。残るものとして、見続けられるものとしての前提で作らなければならない。
でも、やはりそれができるのは、小玉さんだろうなと思う。
shuntaro コースでご一緒していても、提出資料のロジックが強固で、言葉が明快。アウトプットされたビジュアルは流石の一言で、同じ授業をうけていて、勉強になることしかなかった。写真集も、とんでもない強度のものが仕上がりつつあると聞いている。受講生としても一切手を抜く様子がない。
マスターとして無茶振りを引き受け、受講生として課題に向き合う。その両方を、同じ3ヶ月の中でやっていたことになる。

📎小玉コースの受講生記事
- 向田嵩さん: (X)投稿
<小玉コースの「元素化思考」体験が無料でできるオンラインイベント開催決定!>
なぜあの人のアウトプットは自分らしいのか? デザイン力を飛躍させる、再現性可能な “元素化思考” という技術【ひろクリギルド #57】
アーカイブ有料配信の割引付きで、参加しない理由がない特別編
※アーカイブ有料配信情報は後日CREATIVE CLASSの公式サイトやXでご案内します。
田渕 将吾「伴走していけたらいいかなって思ってはいます」
【S5 Studios | 企画からビジュアルまで突き通す ─ ロジックとセンスのデザインブート】
田渕さんのコースが終わったのは、4日前だ。
「今週の月曜日に終わって、今日なんで」
まだ湯気が立っている状態で登壇していた。
「いや、でも、僕よりも受講生の皆さんの方が大変だったんじゃないかなって思いますけど」
田渕さんは、マスターの中でも異質なキャリアを持つ。制作会社を経て、いまは事業会社に勤めながら、個人事業も並行して行っている。そこを活かせないかと考えたのが、コースの出発点だった。
「ウェブサイトの受託デザイナーの場合は、クライアントに課題があって、そこから発注を受けるっていうフローだと思うんですけど、事業会社の場合はもう課題すら何もない」
自分の気づきからものを生み出してみる。だから課題も、0から1を作るものにした。
身の回りで毎日使っているアプリに、疑問を持ってみる。SNS、金融、動画メディア。当たり前に使っているけれど、こうだったらいいのにと思うところが必ずある。その課題の種を見つけて、自らのアイデアをまとめ、形にしていく。
田渕さんはトイレットペーパーを例に出した。同じ形のものをずっと使っていて、疑問なんて感じていない。でも実際には「ガラガラガラガラって音、やだな」と思っていたりする。
そういった違和感を、企画とデザインに変換する。そういう課題だ。

驚いたのは、田渕さん自ら、同じ課題にチャレンジしていたことだ。漢字を学習できる親子向けのアプリを、テストケースとして自分で作っていた。
「抽象的な概念だけ教えていても、作るものをみんな想像できないと思ったんですよ」
自らの思考とアウトプットを実際に見せながら、受講生と一緒に作っていく。
事業会社で働きながら、個人事業での受託も行い、ギャラリーサイトも運営している人が、コースのために自ら作っている。手を動かし続けている人だから、現場に立ち続ける先生でいられるのだと思う。その象徴が、20年続いている S5-Style というメディアなのだろう。
そして、田渕さんはコースが終わった後の話をした。
今回の課題を経て、受講生が作ったのは、模倣ではないオリジナルのプロダクト企画書である。それをどこかに持ち込んだり、国際的なアワードに出品したり、プレゼンする機会を作ってあげたい、と。
「それは強制ではなくて、それぞれ意向を募りつつ、伴走車していけたらいいかなって思ってはいます」
中村さんが「伴走するんですかw それ、えぐいことになりますよ」と突っ込む。多少のアドバイスならまだしも、たしかに終わったあとの伴走はちょっとえぐい。
契約上の義務は何もない。それでも伴走という言葉が出てくるのは、この3ヶ月がそれだけ本気だったということなのだと思う。そう、言ってしまえるくらい、まだ熱が残っていた。
📎 田渕コースの受講生記事
クロストーク:部下に教えるのと、受講生に教えるのはどう違うのか
後半のトークが終わりに近づいたころ、小玉さんがマスター陣に問いを投げ、クロストークが始まった。
「部下に教えるのと、CREATIVE CLASS で教えることの違いってありましたか?」
この問いがよかった。4人が4人とも、まったく違う答えを出したからだ。

岡部さんは、距離感について答える。
「もし会社の自分のチームの子だったら、自分が採用したから絶対にこの人の人生をなんとかせねばいかんって思うから、より厳しいことを言ったかも」
CREATIVE CLASS のマスターと受講生という関係性ではどこまで言っていいのかがわからない。セーブするわけではないけれど、どこまで言うべきなのだろうと常に考えていた、と。
中野さんには、そもそも部下がいない。外注パートナーとは対等に責任を分かち合う関係性だから、また別のものだと言う。
「僕は部下がいないからこそ、今回の10人に対して、多分、愛情をかけすぎていたと思う。だから、すごく時間がかかったし、時間外のコミュニケーションもたくさんあった」
やりすぎたという自覚がある。そのうえで、こう続けた。
「自分の時間を、自分以外に使うっていうことの豊かさを教えてもらったんですよね、すごく」
田渕さんは、違う角度の意見だった。
「会社の部下という関係性で甘えられた時には『いや、学校じゃないんだから』っていう気持ちなんですよ」
でも、CREATIVE CLASS はいわば学校である。だから、教えることにちゃんと向き合った。
「7回のカリキュラムを頭から決めていたし、プロジェクトマネージャーみたいな感じで、各々の進み具合を進捗管理表みたいなもの作ってみていました」
部下よりも、丁寧にマネジメントしていたつもりだ、と。たしかに、誰がお金を払っているか、どういう場の、どういう関係性であるかで教え方が変わるのはロジカルな整理である。
小玉さんは、逆の悩みを抱えていた。
自社のスタッフにも元素化思考を教えたい。でも、入社してもらったうえで、さらに自分の思考法を教えるというのは、さすがに気持ち悪いのではないか… そんな自制心が働いた。
「逆に、コースの受講生に対してのほうが、自分の思考法をストレートに教えられるなと気づいて」
スタッフにはデザインのフィードバックを、受講生には考え方のフィードバックを。その棲み分けが、このコースを通じて明確になったという。
このやり取りを聞きながら面白いなと思ったのは、それぞれの答えがぶつからずに、それぞれの中に混ざり合って浸透していったことだ。田渕さんが中野さんを見て言う。
「中野さんみたいな愛情パターンって、逆方向だと思うんですよね。僕はもう少しコンサバだったかもしれないなって思いました」
中野さんが返す。
「いや、でも、持続性は田渕さんのスタイルの方が高いですよね」
岡部さんも反応する。
「さっきの田渕さんの『学校じゃねえんだし』っていうのにすごいハッとして。僕ももっと言ってよかったのかなって思いました」

ここで、この日ずっとひっかかっていたものの正体がわかった。
マスターたちは、自分の今の能力だけで戦っているわけではない。問いを投げられ、他者の答えを聞き、その場で気づきを得て、自らの学びに昇華させている。自分のやり方を、この場で更新しようとしている。その反応とサイクルは驚くほど早い。
教える人が、いちばん学んでいるのだ。
閉会:なぜ「先生」ではなく「マスター」なのか
「もう時間がね、そろそろあれなんですけども」
中村さんが締めに入る。21時で完全撤収、片付けもある。
「1年間、開始した当初はもう評判もね、なんもないし、ようわからんスクール始まったなみたいな中でよく応募してくれたな、といつも思っていて。でもそれは、ひとえにここにいるマスターの信頼あってこそなんですよ」
そして中村さんは、なぜ「マスター」という呼び方にしたのかを話した。
「師匠みたいな関係性を皆さんに作ってもらえるといいなと思っていて。先生っていうよりも、生き方とか、クリエイティブに向きあう姿勢みたいなものを継承してもらいたいという意図があって、マスターと呼ぶようにしたんです」
先生ではなく、師匠。技術ではなく、姿勢。その意図を込めた、マスターという呼び名。

この言葉が気になって、あとで調べた。
master はラテン語の magister に由来する。ドイツ語のマイスター、フランス語のメートルと同じ系統で、もともとは徒弟制度の親方を指す言葉だったようだ。英語の辞書では teacher と明確に区別されていて、teacher が「教えることを職業にしている人」なのに対し、master は「その道を極めた人で、しばしば教えることもできる人」と定義される。
教えることが先に来ない。道を極めようとする態度が先に来る。
そして、その徒弟制度においては、master は永久の身分ではない。弟子は職人になり、職人はいずれ master になる。移り変わることを前提にした呼び名なのだ。
中村さんの言葉が、そのまま構造の説明になっていた。
「マスターがいきなり100人とかに増えることは多分ないんですよ。どっちかっていうと、今のマスターから継承した皆さんの中から、次のマスターが出てくればいいなって思ってます。そういう気持ちですから、みなさんぜひ頑張ってください」
いわゆる師弟関係だと、こうはならない。その関係は固定されている。マスターと呼ぶことにしたのは、たぶんそういうことなのだと思う。なんだか呼んでるこっちが気恥ずかしくなる呼び名ではあるのだけれど。
ここでもうひとつ、私の見立てを書いておく。
人間がこれまで積み上げてきた専門性を、AIがかなりの部分まで再現できるようになっている。デザインも、実装も、プロジェクトの進行も。そんな中で、まだ吸収されていないものがあるとするならば、それは言語化されておらず、体系化されていないことなのだと思う。会話の間とか、振る舞いの所作とか、フィードバックの温度とか。本人ですら言語化しきれていないもの。
それを手渡すには、10人という単位で、直接浴びせるしかないのだと思う。
これは、私の勝手な解釈でしかなかったが、このレポートを書く中で、開講時のインタビューを読み返していて、交流タイムで宇都宮さんと話したあの言葉を見つけた。
もっと言語化/体系化できない、属人性のあるスキルや知見を届けたい
そして、マスターの条件が3つ挙げられていた。
「業界から知られている人」「SNSやメディアなどでパブリックに情報発信をしている人」、そして「学びにどん欲である人」。
会場で私が見ていたものは、1年以上前に書かれた記事の中に、すでにあったのだ。
撮影を仕切った受講生たち
「じゃあ、マスター全員で写真撮りましょうか!」
どこからともなく声が聞こえ、マスター8名に中村さんも加わり、前に集まった。
ここで動いたのが shuntaro コースの面々だ。フォトディレクションを3ヶ月学んできた人たちである。この日、会場のあちこちでカメラを構えていたのも、だいたいこのメンバーだった。冒頭で原さんに「多すぎる」と言われた、あの2人もここにいる。

役割分担が見事だった。マイクや照明を持って場を仕切ったのが井上さんで、カメラを構えたのが木村さんだ。どちらも現役のフォトグラファーだ。
「マスター、もっと笑顔欲しいです!」
井上さんの声が的確に飛ぶ。参加者を誘導し、声がけで場の温度をあげていく。ライトを入れ、テスト撮影をし、設定を合わせてマスターたちを撮った。

続いて、受講生をいれての全体撮影。
「ハイ、身長高い人、後ろです。どんどん来てください」
「横、ここまでしか入んないんで、ここにキュッと入ってください」
「皆さん、協調性大事ですよ。ハイ、いいですね」
50人近くをフレームに収めるのは、それだけで技術である。画角を調整し、空いている箇所を指摘して詰め、前の人には座るよう促し、笑いを取りながら、列を整えていく。


このとき私は、少し引いた位置にいた。撮っている彼らを、後ろから撮りたかったからだ。
自分も輪に入りたかったかと言えば、そうではあるのだが。ただ、撮っている人たちを撮るというのも、輪の中にいることには違いない。そう思い込むようにした。
でも、そこから見えた光景が、なんだかとってもよかった。
マスターと受講生が、同じフレームの中にいる。校長も運営の皆さんもいる。それを撮っているのは、この前まで受講生として共に学んでいた人たちだ。これまでの人生で培った写真の技術を、3ヶ月かけてつくりあげた関係性を、この場でいかんなく発揮している。
この日、会場のあちこちで断片的に見ていたもの、マスターと受講生の距離感や、コースを越えて交わされた温度が、そのとき一枚の写真の中に収まった。
CREATIVE CLASS という構造が、一望できた瞬間だったのだ。
引いた位置にいたからこそ感じることができた。それはこの立場をもらった人間だけが味わえる、ちょっとした贅沢だったように思う。

そこにあったのは、師弟ではなかった
会は2次会に流れ、私はあとから合流した。
その席で、中野さんの隣に座り、少しだけ話をした。受講生の一人といまも仕事をしている件である。
「師弟関係のようなものなんですかね」と私が聞いた。
「いえ、そうじゃないんです」と中野さん。
CREATIVE CLASS はもう終わっている。マスターと受講生という関係の延長にもなく、ちゃんとした対価も支払い、制作パートナーとして一緒にやっている。その新たな関係の中で、スキルや考え方を手渡していく。
たしかに、師匠と弟子ではない。
この日、私はずっと同じものを見ていたのだと思う。
宇都宮さんが雑談力を磨きたいと言い、野田さんは受講生の言葉の意図を考えながら3時間歩いた。中川さんは自分の勉強になったと言い、原さんは何を渡せばいいか悩み続けたと言った。中野さんは愛情をかけすぎたと言い、岡部さんは距離感をずっと測っていたと言った。小玉さんはマスターと受講生の両方をやり、田渕さんは終わったあとの伴走を口にした。
そして受講生の側も、ただ教わっていたわけではない。3ヶ月、課題に向き合い続け、フィードバックを浴び、他の受講生の苦悩のプロセスごと学んだ。それだけの密度ある時間を共にした人たちが、この日、初めて顔を合わせている。
会場に流れていたのは、憧れの人に会えた高揚ではなく、もっと近いなにか。同じ山を登った者同士の空気だったのだろう。
ある受講生は、感想の中でこう書いていた。
「すごいな」と思っていた受講生のあの人やこの人、そしてマスターの方々でさえも、もがきながら一歩一歩進んでいるんだな、同じ人間なんだなと知って、なんだかホッとしつつ、励まされました。
また別の受講生は、自分の現在地についてこうも書いていた。
自分としては CREATIVE CLASS で学んだことをまだ結果として残せていないので、いまだに卒業できていない呪縛霊として校舎に残ってしまっています。
呪縛霊かww
でも、それだけ本気で向き合ったからこそ抱えられる、悔しさゆえの言葉だ。そしてたぶん、いまも校舎に残っているのはこの人だけではないだろう。

マスターという言葉は、移り変わることを前提にした呼び名である。
少し先を行く人と、あとから登ってくる人。順番が違うだけで、目的は同じなのだ。全員が、険しい山を登り、極めようともがき続けている。
会場に向かう前に思い浮かべていた「憧れの人に会いに行く日」という絵は、ちょっと違っていた。
たぶん、もがき続ける同志と出会い直す、そんな日だったんだ。
CREATIVE CLASS は、これからも続いていく。
