釣りとDJ、たまたまはじめたデザイン
中野さんが小さい頃から好きだったものは何ですか?
家の近くに海と川があったので、ひたすら釣りをしていましたね。デザインやアートには全く関係ない家庭環境でした。また、音楽も好きで、高校生のときにヒップホップが好きになって、そのままDJにハマっていくんです。
レコードを聴くだけではなく、一枚のレコードを楽器として扱う文化が面白くて、大学時代は1日10時間、ターンテーブルの前でひたすらレコードを回していたこともありましたね。今思い返すと、バトルDJやスクラッチ文化に没頭したのは、僕のデザイン的活動の原体験でした。

大学は美大とか芸術系でもなくて、遊ぶために行ってました。当時は、クラブ遊びやDJをすることが本当に楽しくて。僕自身、グラフィックデザインや視覚芸術へ興味が向いたことはなかったです。
それからクラブ遊びの延長線上という流れで、地元の新潟でクラブイベントの運営や、新潟拠点のアーティストのマネジメントをしている音楽関連会社で働き始めました。所属アーティストのCDの販売や流通に関わったり、アーティストと一緒に全国のCD屋を回る、といった、にわかA&Rみたいなことをやっていましたね。

EXILEのMAKIDAIさん
この会社が、デザインをはじめるきっかけにもなると。
職場でイベント企画のフライヤーを作る人がいて、こんな仕事があるのか、と。当時は僕も20代後半で、こんな遊びの延長のままでいいのだろうか、と思いはじめていて。収入も多いわけではなかったし。それで、たまたま大した意味もなく「デザインをやってみようかな」と思ったんですよね。パソコンとデザインソフトなど環境も一応揃えて、ひとまずやってみるかと。
「デザインがうまくできない」という衝撃
職場でフライヤーのデザインをやってみて、どうでしたか?
今でもどんなものを作ったのか覚えているんですが……本当にダサいフライヤーができてしまったんです(笑)。先輩が作ったフライヤーを要所要所を真似てみたりしても、まったく良くならない。この最初の「全くできない」という原体験で、デザインにハマっちゃうんです。真似しても、同じ素材を使っても全然違うものになるし、手を加えれば加えるほどダサくなる。目の前が真っ暗になるような衝撃を食らって。

当時は本業があったわけで、うまくいかないからやめよう、と思ってもおかしくないですよね。
僕はなぜか「できないことにめちゃくちゃハマる」性格なんです。釣りも、DJも、デザインも全部そうなんですが、「うまくできる人」と「うまくできない自分」の差分が悔しくて、どうやって埋めていくかに情熱を費やしてしまうんです。
おそらく、悔しさを放っておけなかったんですね。だから何をしたらいいかも分からず、とりあえず本屋に行ってデザインの本を見に行って。フォントという概念も分からないので「この文字はひとつひとつ手で書いたのかな?」とか。「何も分からない」。そこが僕のデザインの始まりでした。
ちなみに、その最初のデザインに対して、上司からのコメントはあったんですか。
実は……「全然いけるじゃん」って言われたんです。今となってはどういう感情だったか思い出せないのですが、先輩の真似をしてまでダサいものを作ってしまったのに、そう言われたことが余計悔しくて「まずは自分の満足いくまでやろう」と思ったんです。

インプットをフライヤー制作の現場で実践
何も分からないところから、どうやって学んでいきましたか。
自分に向いていたのが、海外のチュートリアル系サイトのトレース作業。デザインソフトの使い方もわからなかったので「どの機能を使えば何ができるのか」から。国内ならPhotoshopVIPですね。そこでチュートリアルを見て同じ形になるまでひたすらやる。フライヤーの仕事は継続してあったので、チュートリアルで学んだ方法を、実践の場で活かしてみる。インプットをアウトプットする実践の場があったのはラッキーでした。
当時は家に帰ってからも、ずっとデザインしてました。自分には土日や休日という感覚がなかったので、ひたすら毎日延々と。音楽関連の仕事だけでは食べていけなかったので、他のバイトもやりながら、合間を縫ってデザインしていました。

インプットと実践を繰り返す中で、手応えを感じた瞬間はありましたか。
デザインソフトが使えるようになって、少しずつ自分が思い描いた形がアウトプットとして出せるようになってきたんです。また、具体的にやりたいことがあるけど、やり方がわからないというときに、「あのチュートリアルサイトを見ればあるかも」とか、頭のなかでデザインに関する情報が繋がるようになってきて。
また、当時はデザインソフトの力に頼ってデザインしていたんですが、あるとき先輩のデザインとの壁をはっきり感じて。先輩が作ったものは、文字だけで作られた、装飾要素も少ないシンプルなデザインだったんですが、かっこいい。そのとき「あ、ツールの力に頼っているからだ」と気づいて。このときのことは今でも覚えていますね。

グラフィックを学んでいく中で影響を受けたデザインはありますか?
やっぱり、フライヤーを作っていた先輩たちのデザインですね。みなさん今も現役のデザイナーなんです。今でもコンプレックスじゃないですが、勝てないな、という感覚がずっとありますね。それだけ僕にとって、最初にフライヤーを作ったときの原体験が根強く残ってるのかもしれません。


「2018年度グッドデザイン・ベスト100」にも選出されている。

NASU主催「Design-1 グランプリ」初代グランプリでもある
https://groovegrafik.studio.site/
その後、グラフィックのお仕事は増えていくのですか。
クラブには広告やクリエイティブ系の人たちも多くて、繋がりだけはたくさんあったんです。飲食店の経営者さんが、お店を出すからロゴやショップカードを作ってとか。僕がグラフィックデザインをしていることを知った先輩や仲間たちから依頼を受けるようになって、少しずつですが仕事になっていきました。
その流れであるTシャツ屋の社長さんに出会うんですが、その人がデザイナーを探しているというタイミングで知り合って。お声がけいただいたのをきっかけに、30歳前後で初めて、正社員としてデザイナー職に就くんです。

ここから仕事が遊びの延長じゃなくなっていくんですね。
Tシャツのデザインをしながら、個人で広告やグラフィックデザインの仕事もしていたんですが、気づけばどんどんグラフィックの仕事が増えてきて。そこで「デザインができる人だけで別の会社にした方がいいんじゃないか」という話があがり、スリーを立ち上げることになるんです。2015年のことですね。でもこのときも、僕の中では能動的というより受動的で、ビジョンがあったかというと、実のところなかった。ただ、デザインだけは楽しかったんです。デザインは徹底的にやっていましたから。



ギャラリーサイトをきっかけに、ウェブの仕事が増加
スリーさんは元々グラフィックが主体だったそうですが、その後徐々にウェブ領域の案件が増えていき、2018年には8割がウェブのお仕事になったそうですね。
本格的にウェブに携わるようになったのが2018年で、ターニングポイントになったのが「RYUTist」です。RYUTistは新潟拠点のアイドルグループで、音楽性もかなり尖っていたんです。プロデューサーからお声がけいただいたときも「デザイン面で”尖ったクリエイティブ”を作ろう」と。そこからRYUTistのCDジャケットをはじめ、グラフィックまわりで関わるようになって。その流れでウェブにも携わるようになり、それが結果的に新潟以外で知られていくきっかけになったんです。

きっかけとして大きかったのが、ギャラリーサイトの「MUUUUU.ORG」と「S5-Style」で、お二人がRYUTistのサイトをピックアップしてくれたんです。僕が新潟在住だったことも手伝って「新潟の人が面白いサイトを作っている」と。それが広く認知してもらえるきっかけになり、このとき、僕自身もはじめて「もっと外へ出て行こう!」という気持ちが強くなったんです。


上:ムラマツヒデキさんが運営する「MUUUUU.ORG」下:田渕将吾さんが運営する「S5-Style」
同時期にKATATA YOSHIHITO DESIGNの堅田佳一さんと出会ったことも大きかったです。彼は彼で、ブランドコンサルティングをやっていく中でウェブに大きな課題感を感じていて。話してみたらお互いの価値観もピッタリ合って、仕事をご一緒にするように。堅田さんはこの時期、全国の事業者さんとの仕事が多くなってきていて、必然的に僕も新潟以外の仕事が増えていきました。

お仕事が全国に知られていく中で、中野さんの意識は変化していきましたか。
変わりました。自分の仕事が知られていくということは、いいも悪いも含め「作ったものに対する評価」が集まってくるということ。いいものを作る意識は当然ありましたが、作るものに対して、今まで以上に諦めないようになり、「第一線の人たちやデザイナーを志す人たちに見られる」ことを強く意識するようになりました。自分は彼らに何か爪痕を残せるだろうかと思いながら、毎回気合いを入れて制作するようになりましたね。
◾️実績1: emuni

ここからは実績についてお話をお聞きしていきます。まず、emuniさん。
emuniさんとは「SETOMANEKI」というプロダクトブランドのプロジェクトでご一緒したのをきっかけに知り合いまして、ある日会食の席で「サイトをリニューアルをしてほしい」と。emuniの村上雅士さんと言ったら、僕からしたら「雲の上の存在」。断りたいぐらいに荷が重かったですが、ターニングポイントにもなった仕事ですね。

そんなハードルの中、どのように提案をしていったのでしょうか。
サイトに対しての村上さんからのオーダーは「10年使えるウェブサイトを作ってほしい」のみでした。あとはおまかせします、と。
とはいえ、どこにスポットを当てて、ウェブというメディアでemuniを表現するのかを、論理的に順序立てて考えないと進められないし、村上さんに対して小手先のデザインを提供しても意味がない。サイト自体、他社のコンテンツに差し替えたら機能しない「emuniだからこそのサイト」になっていなければいけないわけです。
そう考えると、「視覚表現」よりも「操作体験」レベルのデザインができないと、お互い腹落ちしないだろうなと。僕らの間では「プロダクト」という言い方をしていたんですが、さわれるプロダクトとしての美しさや使ったときにわかる手触り感、みたいなところに宿せるものはないだろうか、と。また、10年使えるウェブサイトを考えたときに、夢物語みたいなデザインを提案しても意味がない。現実的なパフォーマンスや更新コストなど、サステナブルなサイトにしようと考えました。
これは最初のディスカッション用の資料ですが、コンセプトや表現の前に、根っこの「態度」がズレていたら駄目だと思ったので、こういう態度のウェブデザインを目指そうという、「三つの態度表明」をしました。

ひとつは、ポートフォリオサイトの主役である作品を、ウェブという限られたキャンバスの中でどう「額装」するか。額装されたポスターって、飾るだけでかっこいいですよね。ウェブにおいても、単なる画像ではなくウェブの中にあることで一層素敵に見える額装とはどういうものかを考えたい。
二つめは、ポートフォリオサイトだから作品が陳列していればいいというわけではない。訪れた人がemuniの空気や匂い、手触りまで感じられるような、オンライン上のビジュアルアイデンティティとなること。
三つめは、ポートフォリオサイトという「プロダクト」をデザインしましょうと。プロダクトとしての「機能」から紐づかれる「形態」をデザインしたい。ポートフォリオの特性、emuniの性質、ウェブメディアという特性などの前提条件の中で、サイトの「構造」や「体験」に影響を与えるようなものはないか。そこから逆算して、色や形を作っていきますと。
また、実績だけならSNSでも見れますし、閲覧体験だけならInstagramの方が圧倒的に効率が良いわけで、わざわざポートフォリオサイトに来る必然性を考えるなら、PC閲覧時の体験を最大化できるようにしたいよねと。そこで、PCのデバイスの特性から紐解いて画面やインタラクション設計をしていこうと。ビジュアルも初回のディスカッションで見せました。
なるほど、早速この段階でビジュアルも見せたんですね。
初稿の段階で、Figmaでプロトタイプまで作っていて、ある程度操作感が見て取れるような提案をしました。極めてアノニマスだけど、そこにはemuniらしさがあって、さらにプロジェクトが主役になる。そういう見せ方をまずトップでしたいです、と。



ちなみにこの初回提案前、このお話を受けてすぐ思い浮かんだのが、山田啓太さんだったんです。そもそも僕が山田さんの大ファンでしたし、10年経っても古びないタイムレスなものを作るためには「山田さんしかいない!」と思ってお声がけしました。山田さんには僕の提案を技術的にどう実現できるか検討してもらって、ある程度実現可能性が明確になった段階でご提案したんですが、僕ら制作サイドの中ではもう「これだ」という感覚でした。

山田さんとはこの後もいくつか一緒に仕事をすることに
初回提案をお見せしたときにお二方からとても良い反応をいただけたので、ホッと胸をなでおろしましたね。ここから先はそれこそグラフィックデザインの領域なので、カラムの作り方、グリッドの置き方とか、サイズ感などの一番気持ちいい見せ方を村上さんと一緒にとことん探っていきました。ディテールの節々からemuniの空気感や手触りが十二分に感じられると思います。
特徴的なのが、やはりポートフォリオの機能から紐づかれる形態としてデザインされた、一覧と詳細の閲覧体験ですね。

そうですね。ポートフォリオサイトの一覧と詳細の閲覧体験をアップデートしたかったんです。僕自身、デザイナーのポートフォリオサイトにおいて一覧と詳細を行き来する行為にストレスを感じていたんですね。ストレスなく一覧と詳細を行き来できて、新しい閲覧体験を提供することが、プロダクトとしてのデザインであり、emuniらしさの表出であると。
また、showcaseとindexの二通りの見せ方も印象的です。

showcaseでは「展示会」を見る体験を意識して。emuniさんのデザインが鑑賞物としても魅力的なものなので、ビジュアルを「鑑賞」できるような画面に。一方でindexは、emuniさんの実績を図録として捉えたときの「目次」をイメージしたんです。図録のボリューム感と、数での圧倒をしたかった。あとはやはり発見性というところで、ソートなどの並び替え機能などで、特定の実績を能動的に見たい需要をカバーしていこうと。
そして、トップの「㎡」ロゴを活かしたインジケーターが面白いです。

あれは、どこかで「変なデザインを絶対したい」と思ったんです。emuniさんが作るクリエイティブも、95%は正統派でベーシックなんですが、5%ぐらいで意外性のあるアクセントや既視感を崩す工夫があって、どこかでずらしてくる。そこが村上さんのクリエイティブの中でも好きなところで、サイトでもその精神性を反映させたく、このインジケーターを。まさに「㎡」というロゴでしか成し得ない機能かなと。


ここの文字のサイズのスケールや、文字の数など、村上さんとの検証作業はかなり時間をかけてやっています。Worksが天地マージンゼロで出てきたときの余白感とか文字との関係性の気持ちよさとか、スマホで見たらどうか、などをひとつずつ検証して。ディテールの徹底的な詰め方はまさに村上イズム。一緒にやりながらひそかに興奮していました。
なるほど、その膨大な検証作業によって、emuniさんの空気感がサイトから表出されていると。そしてやっぱりこのインジケーターのフックが効いてますね。
グラフィックデザイナーの実績なので、画面にあるだけで映えるんです。作品がかっこよければ、コンテナのルールさえ決めてしまえばそれだけでかっこいいブック仕様になる。ただ、今回はそこに少しだけ何かを加えたいな、と。なんとなく、動かす前からある程度イメージはあったので、あまり迷わずにデザインを作りはじめました。

Wang Zhihongのウェブサイト
ひとつ目指した感覚としては、オランダのExperimental Jetsetと、ロンドンのOK-RM。二社とも、村上さんと僕が共通して好きな人たちなんです。Experimental Jetsetだったら、「書体はHelveticaしか使わない」とか、なかなか偏っているんですが、見れば彼らだとわかる。
僕は、彼らが印象的に使う「数字」が好きで。この雰囲気をどこかで醸し出せたらいいなというのが少し頭の中にありました。数字を並べることが合理的になるのは、インジケーターだな、と。そのまま考えを推し進めて、インジケーターを機能ではなくて、彫刻的な造形として画面の中に存在させることってできないだろうか、と。


上:Experimental Jetset 下:OK-RM
この段階で、動きも含めて作っているわけですね。
そうですね、いつもデザインを出す段階ではFigmaでプロトタイプも含めてお見せしています。結局ウェブって閲覧の体験だと思うので、絵だけではなく、できる限り操作体験までプロトタイピングします。デザインのパターンを何パターンも出すということもあまりないですね。
最終的に、この出来上がりに対して村上さんは。
とても満足してくださっていました。お二人とも本当によかったと言ってくださったので。最初お声がけをいただいた時点の自分に「どうにかなったぞ」って言ってあげたいですね(笑)。これがうまくいかなかったら、続ける自信を失うぐらい、僕にとってはターニングポイントなお仕事でした。個人的には、サイト内の個別の要素それぞれに親和性があって、全体として結びついたときに強度が高くなる、といったものが好きなので、そのあたりを一貫した感覚で作ってるというところを醸し出せていたらいいなと思います。
◾️実績2: 中華そば 七八

次は、SNSでも大きな反響があった「中華そば 七八」。
これは新潟でNAPAというワインバルを経営しているオーナーさんが新たに始めた新潟市内のラーメン屋さんで、このオーナーさんも、クラブ遊び時代からの繋がりで、NAPAのときからグラフィックのお手伝いをしていたんです。
オーナーさんがハーレーやサーフィンなどの「カルチャー好き」で、それまで洋食やバルなどの西洋のカルチャーをやっていた彼が、ラーメンという東洋のカルチャーに手を出したらどういうものになるのか、町の人たちにも期待されていたんです。そんな彼がやるラーメン屋さんなので、普通の印象を出しても仕方ない。ファッションや音楽とか、サブカルチャー的な要素が見え隠れするようなラーメン屋という着地がいいよね、と。
なので和というよりは、カルチャーが入り混じったアジア圏の匂いも出したかった。また、オーナーさん自身「日常的に通ってもらえるお店=日常性」をとても大事にしていたんですね。なので、日常というところから紐解いて最初に目をつけたのが、北魏(ベイウェイ)楷書という書体でした。これは香港では飲食店の看板などで日常的に使われてる筆文字の書体なんです。
現地では日常的に見かける書体なんですね。
実はこの書体を文化として残すために書体デザイナーさんが「北魏真書」としてデジタル化するプロジェクトがあって、僕も個人的に支援していて。今回の七八の話があったときに「絶対これだ」と。ただクラファンで完成するのが3年後という話だったので、サンプルをベースに自分で文字を作って、書体デザイナーさんに「この書体を使いたいんです」とメールをして、一文字ずつ購入させてもらいました。すでにあったものは買って、ないものは作ってもらって。

https://www.cnn.co.jp/style/design/35161832.html
僕としては、とにかくこの北魏真書がきっとビジュアルの中心になる、と。なので書体がどれだけ面白く、ラーメンとの相性が良く見えるかということだけを考えてつくりました。
中野さんの突き詰めが、並大抵ではないですね。デザインのために自腹も厭わず、まだ存在しない文字を使うために直談判していく。
妥協しないといけないこともありますが、妥協をするならできる限り高次元のところで妥協したいんです。今回だと「この書体の”七”の文字のディテールをこうしたい」「それは許容できない」といったやり取りをしていて、そういう妥協はしているんですね。それでも、もっと手前の、妥協しなくていいところも多い。難しいところですが、僕がお金や時間を使ったり、手を動かして済むことであれば、やりたいなと。

結果折衷案として今のロゴに落ち着いた
書体が使えることが決まったときに、中野さん自身もテンションが上がったのでは。
とても上がります。書体デザイナーさんに初回のデザイン案を見せたとき「最高だね」って言ってくれたのも嬉しかったですし。このサイトは、このフォントを使うことが全てだったかもしれません。

emuniさんの場合は態度表明としての提案資料がありましたが、このときはどう提案しましたか。
このときは態度表明はなしで、一案だけ。オーナーさんはどちらかというと直感的にかっこいいかどうかで物事を判断する人だったので、蘊蓄はいらないなと。こちらを見せて一分も経たないうちに「これでいきましょう」と。これでアイデンティティが決まったので、ウェブもそのまま。一度も修正していないですね。オーナーさんにもサイト公開まで見せませんでした(笑)。

中野さんの場合、クライアントによって提案のプロセスが全然違いますね。
全部の案件で変えてますね。同じプロセスを辿ったプロジェクトはひとつもないかもしれません。プロセス自体は比較的普通なのですが、型を即興的に毎回変えるところが、他の方と違うところかも。期待値や求められているものなど、段階によって変えますね。このあたりは、DJ的な感覚が活きているかもしれませんね。
◾️実績3: LQVE

次は、中野さんの中でも最近のお仕事、LQVEです。
実は人生で一番頭を悩ませたプロジェクトでした。LQVEさんがサイトをリニューアルしたいということで、制作会社をたくさん見たけどなかなかピンとこない中「燕三条 工場の祭典 2023」を見て、emuniの村上さん経由でお話をいただいたんです。
オーダー自体はemuniさんと同時期だったんですが、内容は真逆。emuniさんがシンプルで機能的なのに対して、彼らのオーダーは業界内で自分たちの存在感を知らしめること。サイトもアワードで賞を取りたいし、目立つことをやりたいというお話だったんです。

彼らは30代の前半ぐらいで、会社の立ち上げ前からカンヌで賞を取っていたり、ひとりひとりが目立ったクリエイターなんです。特に代表の富永さんは、外資クリエイティブのトップから引き抜きがかかるような、言ってしまえば「異端児」。なので、サイトも革新的にしたいと。
僕の中では普遍的なemuniと、革新的なLQVEで、対極のプロジェクトが同時に走ってたんです。emuniみたいな方向性は僕も得意なんですが、LQVEに求められるような足し算のデザインは不得意で。どこまで足せばいいか分からないし、足すほど正解が見えなくなるし…というところで、相当悩みましたね。結果的に、デザインもOKをいただいてから3回ぐらい自主的にデザインを作り直したんです(笑)。
具体的にどのように提案していったのですか。
どんなサイトを目指すかを考えたときに、やっぱり「目立つこと」。独自性を持ち、違うことで記憶に残すこと。また、クリエイティブエージェンシーとしては「伝えたいことが理解ができる」ところも必要だと。そして「感覚的にわかる」ということですね。ブランドを感覚的にも理解できて、情報を理性的に理解できる。相反する要素ですが、両方大事だと。


また、制作会社ぽい見え方から脱却して、クリエイティブエージェンシーになっていきたい、ということだったので、このような分類をして。エージェンシーっぽさというところでは「シンプルで直感的」よりも「ダイナミックで豊かな表現」。成果物のギャラリーではなく、プロジェクトの背景とか成果。普遍的よりも時代性。などですね。

「問いから愛を生み出そう。」というコピーも印象的です。
問いを起点に愛を生み出すことが彼らの一番核となる考え方だったので、そのコーポレートメッセージと、独自のCI(コーポレート・イラストレーション)として、漫画家の石黒正数先生のイラストレーションがあったんです。これがまた悩んでしまう要因にもなったのですが。
CIやVIというものは、企業やブランドの文脈の中でストーリーがある、いわば連続性のあるものだと思うんです。それがLQVEのこのCIにおいては非線形で飛躍的だった。富永さんが敬愛する石黒さんにCIを描いてもらいたい、それが業界的にも革新的ではないか、という嗅覚のもとでやっていたんですね。

村上さんが論理的なのに対して、富永さんは直感的。一貫してハイコンテクストだったんです。なので、CIも非線形で非合理的。なので、最終的には「意味はなくてもLQVEらしさを感じ取れるか」というおぼろげな感覚を指針に作ったんです。すべてにおいて合理性はないんですが、それが例えば、音楽でいうところの「おかず」的要素になって、最終的に「ひとつの楽曲」として厚みが出てくれたらいいなと。
このサイトを拝見して感じたのは、中野さんのDJ的ミックス感覚がとことん発揮されたサイトだな、と。
最後のほうは、ある意味「音楽」だと思って作っていたんです。オーダーも実はemuniさんと対極で「動くグラフィックデザインをやってください」というオーダーだったんです。富永さん自身、オンスクリーン上で展開されていくグラフィックデザインが好きで憧れがあったのと、元々映像が主戦場の方なので、動くことに対しての造詣は深かったんですね。
自分の主戦場でもある「動く」という感覚と、グラフィックデザインへの憧れを、ウェブというメディアであれば融合できるだろうと。
非合理性を前提としたオーダーをどう表現していったのですか。モノクロとビビッドな赤(=愛)とのコントラストや、LQVE社歌が特徴的ですが。
あ、それは、デザインを考え始める段階で「中野さん。社歌つくりました」と(笑)。音楽生成AIの出だしの頃で、彼らもAIで楽曲をつくって歌わせたり、PVも撮影以外はVFXなど全部AIにやらせたりしていて、今回の社歌もとても面白かった。ただ、音楽が流れるサイトというだけなら革新的ではない。もう一歩先に行けないか、と。
このカーマインの色も、ポイントカラーとして使いたいということだったので、この赤と、曲を活かす、というところで、そうだ、「波形」のビジュアルをグラフィックの要素のひとつとして使ってしまおう!と。

ビビッドな赤が波形としてサイトのフッターで展開されていくグラフィックがあれば絵的にもコンセプトも面白いし、社歌がその強度を高めてくれるなと思ったので「これは絶対やろう」と。結果的に、共通パーツになるフッターやヘッダーは「波形」を中心として考えていきました。全体の絵とのバランスや、波形と一緒に見えたときの見え方など、考え方の中心に波形がありました。

なるほど。非合理的なアイディアをベースにサイト全体を設計していくやり方は、やっぱり今までにはなかったですか。
そうですね。VIのような存在を拠り所にすることはありますが、ウェブサイトの視覚的要素から何かを紐解いていくのは、あまりなかったです。また、彼らは注目されたい一方で、エージェンシーとしてナショナル規模の仕事も取っていきたいという気持ちもあったので、見た目は派手でありながら、実績としてはエージェンシーの実績として、しっかり説明できるようにしました。見に来る人に対して情報をちゃんと提供できるように、質実剛健な設えを持ちたいと。

後で気づいたのですが、LQVEさんや富永さんの思考には、二律背反的なものが多いんです。そこで思ったのは、この二律背反的な矛盾を、統合させてもっと高次元に昇華させることが、この仕事の僕のミッションだったのかもしれない、と……。そういう意味では僕にとってはやっぱり新しい領域のお仕事でしたね。


非合理的なオーダーに対して、自身を合理性から解き放って蓄えてきた技術やアイディア、感覚を駆使しながら作っていったというか。やはり「音楽のようなウェブサイトをつくる」というところが一番近いのかもしれませんね。XでもIN FOCUSの志村さんが「複雑なコード進行みたいな趣がある」っておっしゃっていましたね。
志村さんがそう言ってくださったのが、僕はとにかくうれしかったです。おっしゃるように「音楽的感覚」が自分の落としどころだったと思います。音楽にも構造や理屈はあれど、理性よりも感覚、感情で聴いていることが多いはずですよね。このサイトも非合理になることを恐れずに、感覚、感情を大事にしながら、自分なりのミックス感覚で組み立てていった、ということだったのかな、と。
◾️実績4: 富永省吾

同じタイミングで、富永省吾さんのサイトも公開されたので驚きました。
富永さんのサイトもLQVEと同時にオーダーを受けていたんですが、会社ではないので「好きにやっちゃってください」と。富永さんはアーティストでありながら、ビジネスに対する考え方も地に足がついていて、経営者という立場では合理的なんですが、個人サイトは作品を見せるサイトという割り切りがあったので、完全に好きにやらせていただきましたね。
これは初回の提案から全く変わっていません。迷いもなかった。僕はローレンス・ウィナーっていうコンセプチュアル・アーティストが好きで、彼の作品集をたまたま眺めていたときに、ページの中に”WITH A LATERAL MOVE FORWARD(横方向への前進)”という文字があって、大した意味を持たないこのページがなぜか印象に残っていたんです。醸し出す空気感が好きで。

横方向に前進……水平といえば垂直……と思ったところで、そういえば、富永さんって水平軸と垂直軸、両方の思考を持っている人だな、と。ブランドコンサル的な「水平思考」の多角的視点もあれば、「垂直思考」の論理的深堀りもする。この「水平+垂直両方を併せ持っていること」をサイトで表現できたら面白いなと思ったんです。で、サイトで横と縦といったらスクロールだな、と。それでそのままシンプルに「縦+横スクロール」でいこうと。

彼の二律背反的な、オーセンティックでありたいし、異端児でありたいっていうアイデンティティもポイントで、本質的価値への志向もあるけど、人と違うこともしたい。大貫卓也さんや井上嗣也さんみたいな、時代の寵児みたいな人。なので表面だけ本物っぽいとか、流行りに乗っただけのものはやめようと。
また異端児という点では、既成の枠にとらわれずに新たな秩序と価値を見出す、カウンター的存在。例えば、CEKAIの井口皓太さんとか、ライゾマティクスの真鍋大度さん。なのでユーザーに迎合するようなものは作らないし、過去の成功や慣例にも乗らない。
予測不能だけどオーセンティック。多面性や独自性、自由や反骨心みたいなところがサイトから表出するといいよねということで、まずヘッダーを画面のど真ん中に。あえて見にくい、真ん中に鎮座させてみました。

本来ページ上部にあるものを真ん中に置いたり、他と調和しない黄緑の蛍光色を全く調和しない要素として入れ込んだり、ひとつの実績の中に複数のサムネイルを含めることで多面的表情を出したりすることで、富永さんの二律背反的アイデンティティを表現してみたんです。

ヘッダーもクリックすると、スマホみたいな画面が出てきて、ダイナミックな動画サムネイルをバックにスマホでコンテンツを見るみたいな、不思議な閲覧体験ですね。

ここでも何か変な閲覧体験を作れるなと思ったんです。メニュー内にコンテンツが展開される構造のものは最近増えてきてはいますが、ちょっと面白いですよね。
とことん悩みながら作り上げたLQVEと正反対ですね。迷いなくスムーズに作った上に、面白くて納得もできていると。
これはほんと迷いなく。好きにやらせてもらったのもあるんですが、これはとても気に入っています。デザインもさほど時間はかかってません。まるで逆ですよね(笑)。
LQVEは、ステークホルダーも広いですし、成果に結び付かなければいけない。LQVEという企業人格、企業特性、事業特性との結びつきの強度と、クリエイターである富永さんの美学とのバランスが難しかった。その点、このポートフォリオは、経済合理性や社会性ではなくて、彼のアイデンティティが表出されていればそれでよかったので。ミッション的要素をLQVEに譲れたんですよね。
新潟のクリエイティブ事情
中野さんは、新潟ADCにも審査員として参加されたそうですね。
僕にお声がけいただいた理由が「今の新潟のクリエイティブには、新潟にいながら外の仕事もできる、そういう人の血が必要なんです」と。県内の仕事だけをしていても厳しいのが新潟の現状なんです。「メイド・イン・新潟」のクリエイティブがもっと全国や世界に羽ばたいていってほしい、とも。
そもそも新潟は、スクリーンメディアのデザインが弱いんです。2025年のTDCでは橋本麦さんがグランプリを、JAGDAでmountの米道昌弘さんが賞を取ったりとデジタル界隈が賑わいを見せている中、新潟ADCではペーパーメディアがほぼ9割9部。ウェブ部門もありますが、視覚芸術的な意味でのウェブが弱く、あまり見所がないんです。この課題感は実行委員のみなさんにもあって、僕に「この分野に喝を入れてほしい」と。
なぜ、新潟はウェブデザインが弱いのでしょうか。
ひとつはウェブにおいてデザイナーの育つ土壌がないこと。ウェブデザインという領域で職に就きたくても、そういった会社は数えられるぐらいで、表現面でのチャレンジをしている会社が少ないのが現状なんですね。
そもそも、新潟という地域性において、スピーディーでコストを抑えた、実用的なウェブサイトが求められるケースが多いのが現状でもあります。でも、もっとよくなると確信できるなら、デザイナーとして積極的に提案していくべき、とも思うんです。このあたりが今の新潟の、ウェブ領域において難しいところですね。
新潟でウェブクリエイターが生き残っていくのは難しいのでしょうか。
実は、新潟で活躍してるクリエイターって「一度東京に出ている人」が結構いるんです。第一線で活躍する制作会社で力をつけてから、地元に帰って独立する。その流れで東京・新潟の仕事を両方やっている方もいます。これは新潟のみならず他の地域でも言えるかもしれませんが、東京に行って力をつけて帰ってくるという方法は、ひとつのセオリーだと思います。
中野さんのように、オンラインを通じて新潟の外に出ていくようなやり方も、可能性としてはありますよね。
そうですね。新潟ADCではお米やお酒など「地域性が発揮されたもの」が評価されることが多く、それはそれでとても素晴らしいのですが、これからは地域性だけではなく、もっとクリエイター自身の「特性」や「能力」を買ってもらうことが大事なのかな、と。
新潟にいながら国内やグローバルでも戦えるクリエイティブを作って、外から声がかかる。そんなこともコロナを機に可能になってきています。そういう動き方、もっと言えば気概が新潟のクリエイターにも必要だね、というのが実行委員さんたちの見解でした。グラフィックでも建築でもなんでも、つくることが好きで楽しくて、もっと純粋で、「文化の礎」となるようなデザインが、新潟から生まれてくれたら面白いと思います。
ちなみに、新潟ADCでグランプリをとったのが、角田正之さんですね。
彼は新潟は三条のPROGRAFという印刷会社のインハウスデザイナーだったんです。地方の印刷会社のデザイナーでこんな進化をする人がいるというのがまず面白い。PROGRAFさんは新潟ADCでも常連の印刷会社で、そのクリエイティブの完成度は、地元の印刷会社でも稀有な存在なんです。定かではないのですが「PROGRAFにはデザイナーの四天王がいるらしい」という話で(笑)、その中のひとりが角田さんだったとか。角田さんはその後、独立されています。

なるほど、新潟のいち印刷会社が、四天王と呼ばれるようなデザイナーを擁するようになり、その中で切磋琢磨して新潟全体のデザインのクオリティが上がっていくなんてことがあったら面白いですね。
角田さんは元々イラストも自分で描くので、おおらかで伸びやかでありながら手癖も出ていて、まさに「独自進化したグラフィック」ですよね。グローバルで海外的なデザインも好きですが、こういうローカルで独自進化している角田さんのようなデザインも素敵だと思います。

うまくなりたい。それだけなんです
デザインをするうえで、中野さんに通底しているものは。
僕のモチベーションは、「うまくなりたい」それだけなんです。デザインには果たすべき“役割”があり、デザインが持つ効果や効能を正しく機能させ、求められる成果を生み出すことがデザイナーとしての責任であり基本です。
でも、僕の中では、どうもそれだけでは整理がつかない。というのも、デザインには、課題解決だけにおさまらない何かがあると思うんです。最近、中村勇吾さんが『designing』というWebメディアで「デザインを社会でいかに機能させるかがデザインの使命、といった空気が強いけど、それ以前に僕にとってデザインはすごく面白い」と言っていました。
https://designing.jp/tha-nakamura
書体設計士の鳥海修さんは『情熱大陸』で「独りよがりも”ものづくり”には大事」と。この課題解決だけではない”デザインの+α”という感覚が、僕にはしっくりくるんですね。
あるときはロジックを重視して最適解を丁寧に組み立て、あるときは感覚を頼りに計算を超えた表現を探る。それが達成できたとき、僕は例えようのない喜びを感じます。ロジックと感覚のバランスを取りながら、もう少し先に行きたい、もっとうまくなりたい─そんな思いが常にあります。
僕がデザインを続けていられるのは、この「うまくなりたい」という渇望が、インプットや研究の原動力になり、試行錯誤の推進力になっているからなんです。その結果が、求められる成果やアウトプットにもつながるはずだと信じています。僕は、デザインにおける「課題解決」と「課題解決をはみ出た“何か”」の両輪が成立する筋道を描きたい。今でも日々、そんな思いでもがいています。
具体的に考えていることはありますか。
僕のデザインのテーマ「うまくなりたい」をブレイクスルーさせるには、クライアントワークとは別に、実験的かつ自主制作的な活動が必要だな、と。僕はやっぱり音楽が好きなので、デザインと音楽という、時間を忘れて没頭できるこのふたつの掛け合わせをやってみたいですね。やっぱりデザインという仕事を続けていると、DJと同じように、どこかで「収束してくる感覚」があるので。
あと、もうひとつ興味を持っているのが「クリエイター案内所」。これが最近、僕のバリューを発揮できる動き方だと感じていて。最近も、とある企業さんからブランディングのご相談をいただいたんです。その企業さんは、何度か別の会社さんに相談していたみたいなんですが、ことごとくうまくいかなかったみたいで。
ただ、コミュニケーションを重ねる中で「僕ではないな」と感じたので、ベストな会社を僕がリサーチして、結果、とあるブランディング会社さんをご提案したんです。会社紹介から関連記事から関連情報を全部お伝えして。そうしたらその企業さんからも「ここしか考えられない」ということで、最終的にそのブランディング会社さんがブランディング、僕がウェブを担当することになったんです。このようにクライアントにベストな会社やクリエイターをマッチングするのって、「クリエイター案内所」だな、と。
どうも、クライアントの感性にピタッと合う人を紹介できる感覚って、DJのときの、空間や時間帯の流れでかける曲を決める感覚と全く一緒なんです。クライアントのニーズとマッチする会社をまさにミックスして、マッチングさせるというか。どうも、こういうことが僕には向いているみたいです。
影響を受けたデザインはスイス、アジア、イギリス
中野さんが影響を受けたクリエイターについて聞かせてください。
まず、さっきお話したExperimental JetsetとOK-RM。加えてヘルムート・シュミット、白井敬尚さんですね。影響が甚大で、勝手に師と仰いでます。彼らのつくるものは普遍的で、タイムレスでありながら、タイムリーなんです。なかでもExperimental JetsetとOK-RMは、点として見てもタイムリーでカッティングエッジなのに、歴史の流れとして見ても、時代に残るようなものをつくっているんですよね。


シュミットもそうで、ポカリスエットのパッケージが有名ですが、今見てもまったく古さを感じない。今、割とダイナミック・アイデンティティ的なものが増えてきていると思うんですが、その走りではないかと思うぐらい、どんなかたちにも調和するように作られている。
emuniの村上さんがシュミットについて、いいところを端的に語っている記事があるんです。シュミット、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン、アーミン・ホフマンのような、客観的で機能的で、でも造形的にも美しいスイスグラフィックには影響を受けていますね。

第18回:ポカリスエット、40年続くデザイン/村上雅士(Japan Creators)
最近はアジア圏のデザインにも興味があるそうですね。
アジアは漢字と欧文の扱い方など、日本のように多文化がクロスオーバーているところが面白いです。特に中国や韓国のデザイナー。中国にHan Gaoというデザイナーがいて、彼は最近日本のデザイン協会にも出入りするようになったとか。



あと、OK-RMの本拠地のイギリスも面白いですよ。デジタル系のグラフィック、ウェブもいい。Kinfolkのウェブデザインを手がけたことで有名なSIXも、ブランディングエージェンシーとしてはナショナル規模の仕事をやってたり、日本の同じ規模感のエージェンシーとまた違った表現で面白い。OK-RMにも言えるのですが、実験的だけど知的でアカデミック。そこが好きです。アメリカは割と広告的で大雑把な感じを受けますが、イギリスは精緻で精密なんです。




人生でこの6分間のルーティンに出会ってなかったら、今の僕のスタイルはない
ここまで長時間、ありがとうございました。では、最後の質問をさせてください。ここまで中野さんがDJに深い愛情を持っていたとは知らなかったのですが、もちろん、中野さんのデザインに影響を与えたDJもいるわけですよね。
もちろん。まず、DJ MUROさん。僕が一番影響を受けたDJなんですが、ソウル、ファンク、ハウス、R&Bなど、なんでも自分の嗅覚でミックスしちゃう人で、そんな彼のジャンルレスなスタイルは、自分のデザインにおいてもかなり影響を受けています。
もう1人が、DJ KENTARO。彼は「DMC」というDJの世界大会で世界一になった人で、彼のスタイルもまた、デザインにおいて多大に影響を受けています。一つ一つの技は、そんなに難しいことをしているわけではないんです。それが、6分というルーティンの中で、もう、彼にしかできないようなセットを作ってくる。「彼にしかできないような」といっても、決して難易度の高いことをやるわけではないんです。だけど、それがめちゃくちゃクリエイティブで……すみません、なんか熱く語ってしまって。
2002年にDMCで世界一になったときのセットが超有名です。テーマが「No Wall Between The Music(音楽に壁はない)」で、このときの”6分間のルーティン”が本当に本当に好きなんです。ヒップホップやハウス、レゲエやテクノ、すべてのジャンルを混ぜて、6分間のルーティンを作って、ひとつの彼の作品にしてるんですけど、それがすごく好きで。うん、未だにめちゃくちゃ影響受けてます。
グラフィック、ウェブ、モーション、いろんなジャンルのデザインを全部ひっくるめて、自分のデザインに昇華してやろうという魂は、DJ MUROさんとDJ KENTAROの影響が超大きい。YouTubeを貼っておきますので、興味があればぜひ。本当に、人生でこの6分間のルーティンに出会ってなかったら、今の僕のデザインのスタイルはないですから。
おわりです!
スリー中野さんのインタビュー、いかがでしたでしょうか。
ありとあらゆることを話していただいたので、ここではちょっと別角度のお話しを。本編ではあまり大きく出ていなかったのですが、「僕には平日・土日という感覚がないんです」というお話が印象的だったんですよね。
おそらく中野さんは遊びの延長上でデザインをはじめて今に至っているので、社会的な仕組みからある意味離れていて、平日=仕事、土日=お休み、という区分けがなく遊び、デザイン、仕事、すべてが結びついているんだな、と。
だからデザインと「6分間のルーティン」のエピソードがつながるんだなと思いました(文面で伝わるかもしれませんが、中野さんが一番イキイキしていたのが、最後のDJの話でした)。
あと、DJと同じぐらい熱を持っていたのが、釣りです。この話を掘れなかったのが残念ですが、またいつか聞けたらなぁ…と。中野さん、今回は長時間お付き合いいただき、ありがとうございました!釣りのお話もそのうちぜひ!
よかったらみなさまの感想を、SNSなどで伝えていただけるとうれしいです(こういう話聞きたいとか、こういう人に話聞いてほしいとか、大歓迎です!)。
『GOTO-CHI CREATIVE!』、新潟の次は、春ということで、そろそろ……京都にでも行ってみようかと思っています(?)。そこにはどんな働き方、生き方があるのでしょうか。楽しみにお待ちいただけたら幸いです。
ではでは、今日もすこやかな一日をお過ごしください。
iDID Magazine編集部でした!